2009-01-01から1年間の記事一覧

散る2009

たくさんのことを振り返ることを許される年末のこの感じは良い。思い返す日々のなにもかもが、今年1年のあいだに起きた出来事だったんだって、そう思うと、なんだか夢のようだけれど、決して夢ではなくて。ほんとうに、幸せに満ちた1年だった。 2009年…

ナイト・オン・ザ・プラネット

押し迫る年の瀬に、積もり重なる雪が横殴り。 身体の芯から冷え込む夜は、お風呂場のラジオでジェットストリームを聴きながら長々半身欲するのが近頃のちょっとしたマイブーム、になりつつある。お風呂は長い友達。ラジオのチューニングを合わせれば、湯船は…

雨の常磐

低気圧の日はいつもより耳鳴りが大きく鳴り響くから、困りもの。 借りていた本を返却しに図書館まで。私が常盤公園へ行く時は、いつも雨が降っている。こないだ美術館でアロイーズ展を観に行ったときも雨だった。ずっと見たかったアロイーズ展。磁石のN極とS…

おはようからおやすみまで

おじいちゃんの、30回忌。 法事というものが当日急遽行われるなんて、これまで聞いた事もない。あり得えることなのだろうか。しかし、よりによって私の家であり得てしまった。 どうやら、おばあちゃんは来年だと勘違いしていたらしい。おばあちゃんがそう…

危険信号いろとりどり

10月13日から二週間のあいだ、入院してました。 先月からめっきり更新が滞りましたが、そういうわけで交信不能でした。 自分でもどうしてだろう、と。前回も書いた突発性難聴。その名の通り、突然のことで、その後も通院していましたが、当初からの耳が詰ま…

パレードの最後尾

こじらせるだけこじらせた気がする。 近頃、何かといろいろな事があり過ぎて、ひとまず落ち着いたところで身体が悲鳴をあげた。先月末の貧血は単に序章に過ぎなかった。とはいえ前回の日記を書いてる時点で既に発熱してたのは身に覚えがありますが、10月に…

旋律を重ねていくように

そこには、たくさんの久しぶりや、はじめましてがあった。 東京と山形へ旅をして、私の街へと帰ってきた。再会したその笑顔と共に、そこで得た淡くかけがえのない思いは、ずっと胸に刻まれている。旋律を重ねていくような、本当に幸せな旅だった。広がるその…

笑顔で会えたら

たくさんの思いに心が押し潰されて、軋み続けて、折れちゃいそう。 わたし、今はただ大切なことだけ思い続けていたいよ。 けれどね、なかなかそうさせてくれないみたい。 人と人がいて、みんなそれぞれの日常があり、毎日起こる出来事ごとに、たくさんの思い…

鹿の剥製と焼きそば

この秋一番に迎えた金曜の夜。一週間の仕事を終え、カジノでコヌマbros.を観る。 昨年、札幌で観て以来の二度目だけれど、六年前モノクローム・オミタを旭川で観た時のことを思い出した。ちょうどその頃に発売されたオミタの1st音源が好きで、レコ発には旭川…

生き物をあつかう

夏の終わりを原稿の仕上げで過ごした、必死に机に向かうその姿は、完全に夏休みの最終日、泣きながら全ての宿題を片付ける子供の頃へ回帰した。どうやら、その体たらくのまま大人になってしまったようです。格別今に気付いた事でもありません。何はともあれ…

空中からは見晴らせないだろう

思いのほかに生き難さを覚えた、 なんだかなあ。自分本位な欲深さをちょっとばかり見すぎたようで、どっと疲れた。 人間はどうしてここまで欲深い生き物なのだろうか、 そりゃあ、生き物にそれぞれ様々な欲があって然るべきものだし、あらゆる欲があるからこ…

明けない夜はない

吹っ切れた。 遅れてきた盆休みの終わりと共に、自分に嘘を吐いて苦しみを堪え、自責の念に駆られていた八月にさようなら。冷静になって振り返れば、それは、それは。痛々しく、残酷だった。なぜか他人事のように思い込ませ、ただひたすら呆然としていた。身…

霧の港町

心は、とてもあわただしい。 日々が感情に追いつかないまま、八月が半分ほど過ぎていた。 8日は、ナノディストロ巡業出店で霧の港町、釧路へ。元気印がとうとう動き始めた。その名もポップ・ポップ・ポップ。初企画となった今回は、TGとクラウディと共に旭…

あらかじめ失われている遺失物かもしれない

太陽はどこへ行ったのだろう、 今年は冷夏だという。この街もご多分に漏れず近頃ずっと雨が燻ってばかりで、太陽の姿を久しく見ていない。体感的にも、印象に残る7月となっていくのだろう。 暑さをなくした七の月は素晴らしく楽しかった、ふと気がつけばも…

つつがない息衝き

涙は、ときどき、どうしようもない。 わけもなく、誰かに見られてはいけないと、ひたすらに耐える事により、日常の一喜一憂、涙を流すに匹敵する出来事と実際に涙を流す瞬間に、大きなタイムラグが生じていく。私の涙は遅くやってくる。これもまた、鈍いとい…

祈りは踊りと共にある

2009年7月5日 大道芸人・ギリヤーク尼ヶ崎 青空舞踏公演 旭川三番館前にて。 今年もこの季節がやってきた。ギリヤークさんがこの地で舞うとき、夏が始まる。青空舞踏公演は私にとって夏の風物詩。毎年初夏の新聞に掲載される北海道公演の報せは、恒例の楽し…

アンビリカルケーブルとへそ

何とはなしにドアを開ければ、夏もすぐそこに近付いているのだな、と知る。 大きな季節の到来を前に、時期に相応しい雷が鳴るから、私は怯える。いつまで経っても雷は自然の脅威、私にとってその恐ろしさは、何というか、敬いを超え過ぎて非常に恐ろしいとい…

海が母、雲が父

母の日と父の日にちなんで、巷のアチラコチラに飾られたゼロ世代の子どもたちによる、それぞれの母や父の似顔絵で華やぐ風景をアチラコチラでよく見かける。私には毎年この時期に鮮明に思いだす、ひとつの思い出がある。 それは私がまだ四歳の幼稚園児、母の…

月は太陽になりたがり、太陽は月に憧れる

六月が始まり、何となく思い立って、そろそろと部屋の模様替えに日々と労力を費やした。苦し紛れに仕事を終え帰宅してはそろそろ繰り返し続けて7日間。ようやく落ち着いて、一新した空間の中に一人佇んでいる。何かに没頭しだすとたちまち自分の世界に篭り…

畳み掛ける毎日が水曜日

遅くなったけど6月を迎える前に書き留めておこう。 先日の話。平日は毎日が水曜日、仕事を終えてからカジノへライブ観に行った。5月はライブをやるにも観るにも平日にライブハウスに行く予定が普段よりも多かったけれど、土日とはまた違って、たまには平日…

揺らぐ

二十六の歳にして、最近になって、ようやく気付いた。 多分、自身に降りかかる事に関して私は凄く鈍感なのかも、しれないね。思い返してみれば、子どもの頃からそうだな、なんて。きっと、頭のネジを母の胎内に忘れたんでしょうね。母のネジになるのならそれ…

雨になりたい

吹く風を丸く感じとれるようになれば、お風呂上りに涼みを求めてちょっとそこまで散歩したくなる、この季節がたまらなく好き。たまに散歩の途中で雨が降りだし、自然のシャワーまで身に浴びようが、それもまた醍醐味とさえ感じれる、そんな季節。 私は傘をさ…

太陽の印

連休中、風邪による体のダルさと戦いながら、一つの映画を見た、「霧と砂の家」(asin:B000758XUW)という映画。何かしてなくては駄目な気がして体調不良を堪えて見たのはいいが、どうしようもなく悲しい話だったので、見終えた後こそ気が沈みそうだった。一…

カルマ

東京を旅してから旭川に帰ってきて、一週間経つ。 その3日間という限りある時間は、私には酷にも等しい。あっという間に過ぎた、過ぎてった。今でもつい昨日のことの様で、旭川に帰ってから時間はちっとも過ぎていないとさえ感じられたが、旅へのビフォアと…

コトノハ

音楽を言葉で伝えるのは難しいことだ。一応ディストリビューターとして有るまじき発言かもしれないけど、5年近くやっていても尚、やっぱりそう思うし、伝える前にまず私自身の心の内で冒頭に言い聞かせている事でもある。その事に責任を感じる、という意味…

惑いの惑星

如何なる転機はどんな形でも周りにいる誰かが与えて「くれるもの」だと常々思う。与えられた自分がそこから、どういった考えを持ち、どう動いて、これから何に繋げていくか。そこがはじめて自分次第の試されどころとなるのかもしれない。まずそこで何を大切…

春宵一刻値千金 花に清香 月に影

時に、ここで挫けるわけにはいかないと、 自らを追いやる瞬間があって、気丈に振舞う瞬間がある。 時に、かけがえないものを大切にしたい、 その意義がある瞬間があって、気を緩めてく瞬間もある。 そのどちらも、生身の人間らしさがある、自作自演の阿吽の…

春待ちの残雪

それにしても、一度決断したら怒涛のよう。完全なる勢い任せで計画を発て、その準備遂行の早さには自分の事ながら依然驚いてしまう。自分の底力を見る瞬間というのは若干恐ろしいものだ。私はまだまだこんなもんじゃないはずだと思いたいが。とりあえず、事…

膜を破る

透明な膜で仕切られた場所に私一人、外界をぼんやり見上げてるかのような感覚。 この話を決して悲観的に捉えないで頂きたいのだけど、以前、激しい腹痛を起こした私の姉ですが、一時は回復したものの、再びぶり返してしまい、1ヶ月程前から現在まで入院して…

春に夏

3月21日、私はまたひとつ年を重ねた。今年もやけに晴れていた。 得てして目には見えないもの、だから、それ以上にたくさんの思いが飛び交ってはじめてたくさんの感情が芽生えていくのをゆっくりと知る。 とても穏やかで、けれど決意は固く、ゆえに想いは…