おはようからおやすみまで

 おじいちゃんの、30回忌。
 法事というものが当日急遽行われるなんて、これまで聞いた事もない。あり得えることなのだろうか。しかし、よりによって私の家であり得てしまった。
 どうやら、おばあちゃんは来年だと勘違いしていたらしい。おばあちゃんがそう言うのなら、という感覚で私含む家族全員も疑いもせず来年だと思ってた。事態の発覚はその日の朝、突然の訪問者によってもたらされた。その訪問者は、在世中よりおじいちゃんとも親交のあった神主さん。家に招き入れ、勘違いと事実が行き違った結果、やはり今年でした、と一致。そんな訳で、無論、親戚は疎か家族すら揃わない形ではあったが、法事はすぐさま執り行われた。さすがの私もそれでいいのかとは思ったが、まあそんな緩さも、私の家族らしいと言えば、そうかもしれない。きっと、おじいちゃんも性格的に、まあいいんじゃない?くらいに思っている事でしょう、と生きる我々の勝手な思い込みで丸くおさめることにした。私はちょうど出勤前だった為、土壇場で職場に休暇の連絡をした。今日法事でした、と言うも、頭の片隅で、なんという胡散くさい理由だと思った、仮病でもこんな言い訳はしないだろう。仮病でもなんでもなく紛れもない事実だが。
 三十年。いま私は26歳、私が生まれた時には既におじいちゃんはいなかった。実際に会った事はないけれど、30年よりずっと前、おじいちゃんの生活は確かにここにあった。おばあちゃんをはじめ、生前のおじいちゃんをよく知る人たちから、ときどきおじいちゃんの事を聞いたことがある。私が断片的に知っているのは、牛乳アレルギーの持ち主なのに何故か牛乳販売店を経営していた、ということ。頑なに意思を突き通すところもあり、潔さもあり、何よりも周りの人たちを大切にしてとても慕われてた人だった、らしい。おじいちゃん、わたしは隔世遺伝で牛乳アレルギーだけまんまと受け継ぎましたが、今も尚、あなたのような立派な人間ではありません。
 たとえこの世界にいなくても、会ったことがなくても、生前を知る遺された者から生前を知らない血を継ぐ者たちへ、あの人はこういう人だったと、語り継がれていくこと。そういう人に、私もなりたいと、そう、思う。ずっと先の、未来の話だけれどもね。何はともあれ、つつがなく30回忌を終えた。
 先日、いよいよiMacを新調しました。以前のパソコンでずっと悩まされた急に電源が切れる、という不具合もなくなって快適すぎて自分の電源が先に切れます。よって、しばらく放置していたナノディストロのサイトも再構築予定。散る日記の更新頻度ももう少し増やしていきます。
 体調も少しずつ安定してきている。今日みたいなこんなに冷え込む夜は、なんだか胸騒ぎがする。冬のこころはとっても忙しい。
 頭の中は能弁で、もっと書きたい事はあるけれど、なんだか眠たい。またのちほど。いまは、おやすみなさい。