危険信号いろとりどり

 10月13日から二週間のあいだ、入院してました。
 先月からめっきり更新が滞りましたが、そういうわけで交信不能でした。
 自分でもどうしてだろう、と。前回も書いた突発性難聴。その名の通り、突然のことで、その後も通院していましたが、当初からの耳が詰まった感覚、聞こえづらさ、耳鳴りといった症状が処方された薬で一向に効果をみせず、治療をステロイド剤点滴へ移行する為と、早期安静が入院の理由。
 遡ってみれば、入院の打診を受けたのは十月、暦上3連休前の金曜日。連休明けの火曜日の検査結果次第で入院、と既にベッドは確保されていた。あくまでも検査結果次第で確定なので、あまり事を荒立てないように、どうにか入院は免れる方向で、僅かながら希望を持っていたが、動揺は隠せない。心折れそうな3連休という猶予。
 そうして、迎えた連休明けの火曜日。耳は一向に不調のままだった。はやく病院へ行かなくては、と思いながら、腰が鉛のように重い。覚悟を決めて、重い腰をあげて病院に向かえば、すんなりと即入院が確定した。
 何がなんだか判らないまま、病室に案内され、手続きを済ませる。まだ昼食をとっていない事を告げると、カレーを用意された。カレーを食べて、外出届を提出し荷物を取りに一度自宅へと戻る。お風呂に入り身を清め、ボストンバッグに荷物を詰めて、病棟へと戻る。どちらが戻るところなのだろう。病棟に戻ってきた事を伝えると、看護師さんはおかえりなさい、と言った。
 用意された病衣に着替え、ベッドに横たわると私は入院患者になった。たとえば、その町並みにそれぞれに散らばっていた人々が、同じ飛行機に乗り合わせれば、乗客として数時間を共に過ごし同じ目的地に到着する。そんな感覚に似ているように思った。
 点滴治療は早々に開始された。1日三本。ステロイド剤の投与は免疫が低下する為、入浴の禁止、トイレ・洗顔・検査時以外は病室からは出てはいけない事、出てもマスクを必ず着用する事などといった、今後の入院生活についての説明を受ける。体調が悪いので、必要以上に病室から出る気はなかったが、頭の中がゴチャゴチャで、受けた説明に頷くのがやっとで、これといって質問も思い浮かばなかった。
 今思えば、少し混乱していたのかもしれない。いくら覚悟を決めていたとはいえ、気持ちの整理は全くついてなかった。これから嫌でも静かになるのに、静かに何にも考えたくなかった。力を抜いてしまえば、崩れ落ちてしまいそうな何かを保つ。呆然と悲しみが湧き上がり、それに打ちひしがれた。
 病棟のいちばん奥の病室が私の病室だった。患ったのが耳という事を配慮され、同室者のいない二人部屋の個室状態。夜になると、寝たきりの患者さんが多い近辺の病室からは、しょっちゅう悲鳴がする。聞こえが悪い状態の私でもハッキリと聞こえたので、相当大きな叫びと思われる。悲鳴が聞こえる度にふと目が覚め、怖くなって眠れない。看護師さんはその状況を、動物園みたいでしょう、ごめんね、と言った。いいえ、決して誰も悪くはない。時として、そんな悲鳴は存在する、と知る。
 最初の四日間はその病室で過ごしたが、五日目で治療環境が宜しくないと判断され、私と同じく耳鼻科で入院してる方々の四人部屋の病室へ移動することになった。途端に人に囲まれることは還って不安で怖くもあったが、徐々に安息を得た。ようやく、ようやく。疲れた、と声に出すことが出来た。私にとっては大きな進歩。ほんとうの意味で、静養が訪れた。
 厄介な事に点滴が入り難い血管を持っているので、治療は苦し紛れに。注射針は3日おきに変えるが、殆ど2日目くらいで血管からずれて痛んだ。左手に針が刺さったまま眠るのは気を使う。ある時は、免疫力が下がってたせいか微熱気味になり、肩で呼吸をした。またある時は腕が腫れて、アイスノンを頼った。
 いつかの朝。起床時採血の日。看護師さんが「外を見たらビックリしますよ」とカーテンを開け放った瞬間、広がる窓の外が霧で真っ白だった。私は、きっと外は寒いのでしょう、と返した。その霧の向こう側には薄らと旭山から朝日が覗いた、麗しい朝だと思った。私は何故これまでに、これほど綺麗な朝を知らなかったのだろうか。
 いつかの昼。ぼんやりとしていたら、マリーローランサンの「鎮静剤」の最後の一節を思い出した。「死んだ女より哀れなのは忘れられた女です」ずっと思い出す事もなかったのに、こんな時に限って頭の片隅から出てくるからタチが悪い。ああ、こうやって、忘れ去られてくのかもしれない…。莫大な孤独感や怖さに押しつぶされて身体が霧のように透きとおってしまいそうだった。昼は寂しさや悲しみばかりが募っていく、夜は乗りこえてしまえばいいだけだ。ただ、太陽の光が眩しく降り注ぎ、空は青かった。
 治療を重ねていくうちに、耳の詰まった感覚は少しずつ良くなっていった。それに伴ない最初は3本だった点滴も、徐々に2本へ1本へと減り、最終的にシロップ薬と処方薬へと変わった。しかし、耳鳴りは変わらず延々と鳴り止むことがなく困り果てる。
 入院生活をして二週間が経過する間際、脳波の検査を受け、ようやく退院の許可がおりた。退院出来る事はやはり嬉しいが、いつまでも耳鳴りは止まないまま外へ出ていく事の怖さが増し、複雑な気持ちで、ぞわぞわと不安になった。
 鳴り止まない耳鳴りは、いとも簡単に気持ちを煽っていく。紛れもなく感覚的なことで、且つ自分にしか聞こえないから、言葉ではうまく伝え難い。耳鳴りをぼんやりと聞いていると、水中にいる気持ちになる。いつまでも一人だけ水槽のような仕切られた所にいるみたいだ。とても寂しくて、悲しくもある。
 いつまでも泣いてばかりの二週間だった。不安で仕方がなかった。身体がよわっていると、いつもより心は敏感に揺れ動いて気持ちが参ってしまうのだ。痛いは、かなしい。怖いは、さみしい。切ないは、つらい。身体と心はひとつに繋がっているのだろう。
 けれど、最初のセンチメンタルも、日を重ねていく毎に、与えられる周りの優しさに涙が出た。両親、家族、友達、私にとって本当に大切な、たくさんの方々に気にかけて頂いて…。ご心配をおかけしている状況はとても心苦しくもあったけれど、そのひとつひとつの優しさに癒され、心底から救われました。本当に、本当に、有難うございます。
 私には何が出来るのかな、と考えてみると、まず、私自身が元気を取り戻すことが、周りへ出来ることの始まりだ、と思った。少しずつ、マイペースに。
 結果として、日々のストレスを蔑ろにして気付かないフリをし続けた自分自身へのツケ、というか、自分自身の破滅への危険信号として、今回の入院があったのかもしれない。距離をとって入院前の生活を見つめ直してみると、いろいろな事に気付かされた。生活の乱れ、蓄積していたもの、抑圧していたもの。今思えば全てが言い訳がましくもあるけれど。とにかく、そこにもう戻ってはいけないなと思うし、改善するところだらけで。今回の経験を得て、物事の考え方にしても、物の見方にしても、たぶん少し変わった。弱さを受け止めること、自分のテリトリーを守ること、悲しみや寂しさを肯定すること、現状を知ること、向き合うこと、逃げること、そうやって、私は強くなるのです。固定的な観念は楽な道しるべでもあるが、時に自分で自分の首を絞める事でもある。なぜ気付かなかったのだろう、なぜ気付かないの?
 入院前の最後の回診で、耳鳴りは後遺症で一生治りません。という宣告を受ける。一生、とはどういう感覚なのだろうか。生きている限りはずっと?では、生き終わる時に鳴り止むのか。無音を知らないまま、終わってしまうのか。そこで何を思うのか、終われば何も思う事はないのか。そのうちこれが私の無音となるのか、一体どれが無音なのか……。宇宙のように果てしなく遠い事のようにも思えるし、明日の事のようにとても近い事にも思える。
 病棟の朝はあわただしい、病棟の夜も目まぐるしい。そんな毎日でも、看護師さんや主治医の先生、同室の方々には大変お世話になった。退院の日、ナースステーションにご挨拶すると、看護師さん達は、長かったけど退院までよく頑張ったね、おめでとう、と、とてもやさしい笑顔を向けてくださった。荷物をまとめていると、同室の向かいのベッドのおばあちゃんから、せっかく顔見知りになれたのに寂しくなるわ、と言われ、そっかもう会えないんだ、と思うと、少しキュンとした。けれど、もうこういう形で会うことがないよう健康でいる事が、お世話になったせめてもの恩返しなのだろう。
 病衣から服に着替え、ベッドまわりを空にすると、私は入院患者ではなくなった。たとえば、同じ飛行機に乗り合わせ数時間を共に過ごした乗客も、目的地に到着すれば、外の町並みにそれぞれに散らばって人々の風景と化す。そんな感覚に似ているように思った。最初はボストンバッグひとつの入院も、退院時には四つの鞄を抱えていた。
 退院後は数日間の自宅療養、そして二週間が経った現在。落ち着いてきたけれど、今も変わらず耳鳴りは鳴り止まない。通院は続いてるけれど、体調も日によって良い時もある。ときどき、不安で、こわくなって、自分の殻に閉じこもる事もある。でも、途方に暮れたところで鳴り止むわけでもないのは判ってる。ゆっくり、少しずつね、身体に慣らして気にならなくさせるしかない。そこに音楽があれば、紛れさせる事だって出来る。ならば、音楽が尚更に恋しい存在になる、という事ともとれる。まあ、生きていればその中で、何かを背負う事なんて幾度とあるでしょうし、ここは潔く長いお付き合いをしていく構え。なので、決して悲観的には考えてません。ただ、健やかであることは大事なことだと改めて。まだ耳鳴りが身体を支配している感覚があるけれど。眩暈はあるけれど。せめて、心が穏やかでありたい。
 優しい言葉は、心強くなったり、よく眠れたり、安心したり、あたたかいキモチになる。言葉は魔法のようで、不思議だね。
 だからわたしは、きっと大丈夫だって思えるの。
 14日間という時間は、果たして長いものなのだろうか。私にはよくわからないまま過ぎていった。二週間ぶりに外に出れば、冷たい風が吹き付けた。入院前は見慣れてたはずの道すがらも、全く新しいものに感じた。地球はふしぎで、すこし難しい。
 北海道の秋はとても短い、駆け行くように風景は移り変わっていく。今年はそんな秋の移り変わりを殆ど体感することは出来なかったから、入院前はまだ青々しかった木々も、散り際ではあったが紅葉になっていて、そんな僅かな色彩が嬉しかった。やがて、冬が訪れる前兆の雷が鳴り、堰を切るように初雪が降った。
 そう、今年も、長い長い冬がはじまったんだ。