雨の常磐

 低気圧の日はいつもより耳鳴りが大きく鳴り響くから、困りもの。
 借りていた本を返却しに図書館まで。私が常盤公園へ行く時は、いつも雨が降っている。こないだ美術館でアロイーズ展を観に行ったときも雨だった。ずっと見たかったアロイーズ展。磁石のN極とS極のように、引き込まれていく強い引力と、他の誰をも寄せ付けない迫力があった。空色に塗りつぶされた瞳、熱を帯びる赤い曲線、歳月と共に少しずつ鮮やかになる色彩が繰り広げる官能的な愛の世界。これらを彼女の幻覚や妄想と一括りにしていいのか、芸術の概念にとらわれる事がなく作り上げたものを前に、言葉を駆使した精神分析をしたところで、何の意味をも為さないような気がする。そのすべての真相は永遠にアロイーズのみぞ知る。
 ただ、サブタイトルである「私の愛は、蝶のように飛び去った」という言葉が、数々の作品の美しさの深みを増し、切なく胸に刺さった。
 併設された北海道のアウトサイダーアート展もまた素晴らしく良かった。ユーモアがあって、ふしぎで、まっすぐに語りかけてくる作品たち。大学時代にアウトサイダーアートの存在を知り、予てから関心はあったが、まだまだ私は甘い、と思い知らされた。または、自分が思っているよりも、もっと身近なもののようにも感じた。図書館に行ったのは、借りていた本を返すのも兼ねてはいたが、アウトサイダーアートの文献を頼る為でもあった。先月末まで図書館内のギャラリーで美術館の展示開催と合わせたアウトサイダーアート展が催されていた事を知り、もう少し早く行きゃよかった。せめて大学在籍中にもう少し知っておくべきだった後悔を取り戻すべく、いまいちど、勉強を重ねる。期間中にもういちど、アロイーズ展に行きたい。
 雨の常磐。ame no tokiwa. 雨のときは。本を読んで過ごそう。
 そういえば、このとき返しに行った本は、タイミングよくちょうど入院する前に借りたものだった。しかし、タイミング悪く返却は遅れた。入院中、目眩がひどい時は活字の流れに目が追いつかなかったが、体調がマシな時は本ばかり読んでいた。よしもとばななハードボイルド/ハードラッグ 吉本ばなな」、桐野夏生東京島」、谷川俊太郎二十億光年の孤独」、絲山秋子ばかもの」。入院時の暇つぶしに読み物があったのは幸いだったものの、それにしたって皮肉なもので入院時にはあまり向かない内容のものばかり借りてしまった。特にハードボイルドに至っては、読了した日の夜、自分史上最悪の金縛りに遭った。
 そして先日、市川春子虫と歌 市川春子作品集 (アフタヌーンKC)」を読んだ。喪失と再生。出会いと別れ。生命と愛情。永遠と寿命。深く落ちて、まっすぐに爽やかな、独特の空気感。市川春子が描く海は、どこにもないほど綺麗ですこしさみしい。何度と読み返しその焦燥感に浸っていたい。愛すべき本。
 おのれ低気圧。街並み華やか12月。
 わたし火曜から、休職求職急速休息安息棲息中。