雨になりたい

disnano2009-05-26

 吹く風を丸く感じとれるようになれば、お風呂上りに涼みを求めてちょっとそこまで散歩したくなる、この季節がたまらなく好き。たまに散歩の途中で雨が降りだし、自然のシャワーまで身に浴びようが、それもまた醍醐味とさえ感じれる、そんな季節。
 私は傘をさすのがあまり好きではない、時には止むを得なく傘を用いる事もあるけれど、出来るものなら傘を持ちたくないと思ってる。子供の頃からずっと。そのおかげで未だに傘の忘れ物が多い。一度傘を畳み手から離した瞬間に傘を持ってた事自体忘れてしまう。多分、旭川の各ライブハウスや今や過去の職場に忘れ去られてる傘の一部はきっと私のものと思われますが、突然雨が降り出した際、お困りの誰かに使って頂ければ幸いです。
 決して自慢にも勲章にもならないが、小学生の頃、置き傘するなら私以外クラスで右に出る者はいなかった。置き傘のなっちゃん、というあだ名まであった。そのせいで終業式の日は私がやらかした置き傘全て家に持って帰らなくてはいけなくて、終業式の日は5本以上もの傘を半べそかいて持って帰った記憶しかない。その辺授業する事なかったし、学習しないまま現在に至る。
 そもそも雨は空から与えられるもので、それは今も昔も変わらない。とても自然なこと。それを遮れる事が出来るのは人間の特権。だから、私には傘をさすのがなんか申し訳なく思うというか、人間でごめんなさいという感じ。雨が降りだしたなら大いに浴びればいいし、雨足が強いなら立ち止まってどこかで雨宿りしたっていい、急がなくたっていい。ずぶ濡れで風邪を引いたとしてもそれもまた一興。雨が降ったんなら仕方がない。そういえば、雨で全身がずぶ濡れの時にそのままで気持ち悪くない?とよく人から言われるが、その気持ち悪いという感覚が私にはよく判んない。全然気持ち悪くないと思うのだけど。
 時に雨は悲しみにも恵みにも喩えられる。そこにある心象風景は様々だ。その全てが素晴らしいと思うし、私自身、雨で喩えた何かに心を揺さぶられる事だって何度もあった。だからこそ、決して雨の日が必ずしも悪い日とは限らない。晴れの日にも晴れの日なりに悪い時もあるよ、雨の日も雨の日で良い事あるさ。すべての心象風景は美しいもの。空気が雲となって、雨となる。やがては川となり海にそそぐ。そんな移ろいも、たまらなく好き。だから全部受け止めたい。
 家の庭に咲く芝桜に6枚の花弁を持つものを発見。何か幸運があるといいね。