膜を破る

 透明な膜で仕切られた場所に私一人、外界をぼんやり見上げてるかのような感覚。
 この話を決して悲観的に捉えないで頂きたいのだけど、以前、激しい腹痛を起こした私の姉ですが、一時は回復したものの、再びぶり返してしまい、1ヶ月程前から現在まで入院している。先日は手術があり、無事に成功して、術後も良好、退院の目処もついてきて、今ようやく安心してるところ。本当にこの1ヶ月間で様々な出来事が、私自身だけじゃなく周りにも起きていた。
 手術の日。私は仕事を半休して、姉に付き添うべく病院へ。既に病室には両親と祖母と叔母がいた。皆が神妙な面持ちでその時を待つ中、当の本人である姉だけが生き生きしているように見えた。清潔で真っ白な病室の風景はいつもよりも神々しいくらい眩しい白を感じた。生の白。
 そうこう考えてる内に、すぐ手術の時間を迎えた。姉が入院している病院は、というか病院は今どこでもそうなのかもしれないけど、独歩する事が出来る患者は自分の足で手術室へ向かうのが原則で。そこで見たのは、手術室前の受付でゾロゾロと行列する人達の群れ。次の方どうぞ、と言われ自分の足で次々と手術室の中へ入って行く人達。手術室に入る前に、行ってきます、と言い、付き添いの人が精一杯に応援する瞬間、見送る者と見送られる者の温度差。失礼ですが、ここにいる全員これから腹切られるんか、と思わずにはいられなかった。そして、間違いなくその人達の群れの中に私の姉も確かにいるということ。非現実と現実が交差して、とても妙な光景だった。
 それに唖然としている内に姉の番が来て、私は結局一声もかけれないまま、姉は手術室の中へ入っていった。見送る母と祖母の涙ぐむ姿を、私はただぼんやりと見ていて、自分のあまりの冷め具合に、私は感情をどこかに落としてしまったのだろうか、と。まるで透明な膜のようなもので仕切られた場所で私一人だけぼんやりと外界を見上げてるかのような感覚に、途方に暮れた。
 とは言え、決して何も思ってないわけではない。姉には頑張って欲しいと確かに思ってた。けれど、何故か態度にも声にもする事も出来なかった。そこで態度で示したとしても、白々しくなる気がした。姉なら大丈夫、という強い信頼が思いの中にあったからだ。もし、私がそこで頑張れ、と姉に声をかけたところで、その信頼が崩れるような気がしてならず、その信頼を頑なに守り続けた。今、手術を無事に終えた姉を見て、ほら大丈夫だったでしょ、とさえ思う。まあ、内心メチャクチャほっとしてるけども。
 手術を終えるのを待つ間、腹を切られているところを想像しながら、身の毛も弥立つ思いに何度もなった。とは言え、私も生まれた時にある疾患が見つかり、生後2週間の時に手術したことがあるけれども、さすがに記憶に無い。あるのはその時の手術の痕だけ。とっくに完治してる今はその痕を私の生命線と思ってるだけ。ただそれだけ。
 この出来事を経て、私が強く感じたのは、姉には姉の人生があるように、私にも私の人生がある、ということ。そして、それを生かすも殺すも自分次第でしかない、ということ。その膜を破るのはまた自分でしかない、ということ。その時訪れるいまを精一杯に生きいかなくては。タイミングを感じたらそこで自分が切り開いていかなくては。
 だから、その勢いのまま私は今日、ある決断をした。
 よし、行こう。大丈夫。私には支えてくれる友達がいるから、大丈夫。
 さあ、会いに行こうじゃない。