コトノハ

 音楽を言葉で伝えるのは難しいことだ。一応ディストリビューターとして有るまじき発言かもしれないけど、5年近くやっていても尚、やっぱりそう思うし、伝える前にまず私自身の心の内で冒頭に言い聞かせている事でもある。その事に責任を感じる、という意味で。寧ろ逆に簡単なことだったらダメなんだろうな、とさえ思う。なんか失礼というか、軽率な感じがするし。あくまで私の場合ですけども。しかし、音楽を聴いてそれを言葉で伝える為にああだこうだ考え巡らせてる時ってある意味産みの苦しみに近いもので、時間はかかるけど相当楽しいひと時だ。嬉しい悲鳴を上げながら、ディストロをやっている意義を感じる瞬間だったりする。
 多分言葉で伝える事を諦めたくはないんだろうね。だって私にはそれくらいしか出来ないから。そこがディストロとして譲れないところというか、ある種のプライドみたいなもの。まあ、私は弦楽器まったく弾けないし、技術とか言われても未だによくわからんし、その分真っ向な言葉で伝える事でしか責めていく術はないんだと思う。
 しょっちゅう言ってる事かもしれないけど、私は言葉が持つ力を信じてる。決してスピリチュアルな意味ではなく、言霊は存在すると思う。だから軽率な事は言えんと意外と常日頃からこれでも一応気を付けてる。しかし、お世辞なんて持っての外で言えない、言えるわけがない。それを時には辛口だとか率直な意見とか言われる事も偶にあるけども、それは本望だし、その可能性や向上心を信じてるから本音をぶつけるだけに過ぎない。間違っても悪く捉えさせる為の言葉ではないのでくれぐれも誤解なきよう。いや、誤解は私の力不足が生む事だろうから、もっと精進しなければね。
 例えば、発する言葉に重みを感じる人とあまり感じない人がいて、それはどう取り繕おうが大体話してれば一目瞭然でわかってくるものだ。重みを感じる人には本心で言ってくれてるんだな、というのがちゃんとこちらにも伝わって嬉しくなるし、私は強い信頼を寄せる。まあ、あまり感じない人って私はそんなに遭遇した事ないけど、やっぱりそうは思わないというか、然程強い記憶には残らなかったりする、お互いに。
 敬語に壁を感じる、とか言うのはよく聞く言葉だけど、それはただ単に敬語を使いたくないだけの言い訳に過ぎないと私は思う。それ以前に親しき仲にも礼儀ありとも言うし、敬語だろうがタメ口だろうが、壁を感じる人は感じるし、感じない人は感じないんじゃないかな、それを言い訳にした時点で自ら壁をつくってるというか。誰でもまず心を開いて会話する事だけは諦めたくないけど、決して言葉の所為だけにはしたくないものだ。私は決して礼儀の正しい立派な人間ではないので偉そうな事なんて言えませんけども、私はそう思う、単純にその可能性を諦めたくないだけ。
 話逸れた。こないだうちのディストロに入荷したセオレムの音源が素晴らしい、というか嬉しかった。一度旭川呼んだバンドだけあって尚更思い入れなくして語れないけど。音で近況報告があった感じで、届いたサンプル盤を聴きながら、いいねえ!いいねえ!と思わず口走ってた。もちろんこの作品は彼らの経験が生んだ賜物であり、別に当然の事をしたまでで、私自身旭川で彼らにこれといって何かを与えたわけではない、というかその辺、私かなり自信ない。だから偉そうな事なんて言えないし言わないけど、私はディストロとしての任務に誇りを持ちこの作品を全力で伝えていかなければならない、なんて思います。当然のことながら。有難うね。
 東京の旅まであと1週間。楽しみだよ。