つつがない息衝き

 涙は、ときどき、どうしようもない。
 わけもなく、誰かに見られてはいけないと、ひたすらに耐える事により、日常の一喜一憂、涙を流すに匹敵する出来事と実際に涙を流す瞬間に、大きなタイムラグが生じていく。私の涙は遅くやってくる。これもまた、鈍いということだろう。しかし、耐えていても結局は、我慢はいずれ限界が来るものだ、何度でも。ふとした拍子に涙腺が決壊して、これまで蓄積した事もついでに洗いざらい流してしまうあたりは、全くもって、どうしようもない。一度流れた涙は留まる事を知らず、言葉を発すれば果てのない支離滅裂。よって、何故その事をここで泣く?!という状況なんて全くもって少なくはない。
 ああ、どうしようもない。
 それが大人になったということでは決してなくて、子供の頃からそうなのだ。たとえ学校でイヤな出来事があっても、たとえ病院の注射が痛くても、その場では堪え、家に帰って母のおかえりを聞いた瞬間に、涙よこんにちは、わあわあ泣き出していた。逆に大人になってからは、そのタイムラグが更に大きくなったような気さえする。稀に、その場で瞬時に涙を流せる人を眺めては、すぐに泣ける事を羨ましくも思う。なので、過去に私の泣いてる姿を目の前で見た事がある方は、コイツはよっぽど気を許してるのだと思って下さい。勿論、困らせるなどの悪気なんてものは毛頭無いが、悪気がないからこそ、たちが悪く、どうしようもない。
 しかし、蓄積して、いっぺんに流す涙は、ある意味では、私にとっては間隔を置いた精算ともリセットとも言える。日々を生きれば荷物が増えるが、容量には限界があり、すべての荷物を持ち歩くことは出来ない。言わば鞄のようなもので、一度身を軽くして、置いていくものは置いていき、今必要なものだけを持ち歩く。一度リセットしたところで得るものはたくさんあり、それもまた更に継続へと繋がってく。
 あくまで雑感に過ぎなくて、今ここに書いている事が、私に特別何かが起こったわけでも、どうって事もない。ただ、判りやすい気持ちの在り方で、良いモチベーションを保つ事が出来そう。思い込みと、勘違いと、執念なくして、なかなか前へは進めない、結局はそんなものだ。良くも悪くも身の破滅。言い得て妙な言葉だが、何にせよ破滅へ向かってるのだろう。どうせ破滅へ向かうなら、良き方向へ。