微睡みバスに揺られて

 外に出ると、残り僅かな冬の息吹がよぎってく。肌寒さが寂しい心に妙に心地よく感じて、身体の芯まで冷やしてく。
 昨日はお気に入りのワンピースを着て、裾をなびかせバスにゆらり揺られて、うとうと眠たくなりながら、写真の町へ。
 道を進んでくごとに、だんだんまばらになる乗客。やがて辿り着いた先は東川町。最寄のバス停から東川まで30分程かかるので、なんだか小旅行感覚。目的は、文化ギャラリーで開催されている森山大道写真展。自分が好きな写真家を挙げればキリがないけれど、そのなかでも森山大道氏は群を抜いて好きな写真家のひとり。まさかこんなに近くで作品に触れる機会があるなんて思いもせず。先日不覚にも遅ればせながら展覧会のことを知った時から、必ず行こうと決めていた。ようやく、見に行けた。
 北海道-第2章/展開。30年もの歳月を眠り続けた、あの頃と、いまの残像。そこには旭川や東川の写真もあった。いつも見慣れていたり、ついさっき通りかかった街並なのに、改めて森山大道氏の手によるフィルターを通して見てみると、なんだか郷愁を感じて心が騒ぐ。誰もいない風景でも其処彼処に誰かの生活があって、何気なく見てきた風景にも誰かの呼吸が確かにある。写真の中に潜む人々の叙情を感じ取っては、切なさで胸が張り裂けそうになる。ただ、ただ心を打たれ、触発されて、家への帰り道もいつもの風景がすこし違って見えた。行ってよかった。
 誰もいない展覧室の片隅に置かれていた観覧客用ノートをめくったときに見つけた、ひとつの言葉が印象深く心に残ってる。勝手に抜粋させて頂くと、
 「言葉は恋で、写真は愛だ」
 誰が書いたのかは判らないけれど、いいことばだなと思った。本当にそう、そんな気がする。
 半年前に自分の携帯電話をiPhoneに変えてから、写真を撮ることがぐんと多くなったと思う。それまでは、仕事上写真に携わる事はあれど、携帯でも自分がシャッターをきることは然程無かったのに、今や一転して写真を撮る事がとても好きな自分がいる。単純に手にしたiPhoneがたまたま画質が良かったというのがきっかけで、まだまだヘタクソではあるけれど、写真を撮ることがいま凄く楽しい。写真は造形とは違い瞬間やタイミングとの勝負でしかないので、自分の感覚が研ぎすまされる。私が写真を撮ることが好きになったのは、そこに面白さを見出したからだと思う。最近だと仲のいいバンドを主にライブの写真も撮ることも多くなった。こないだのモスキでも撮った。勿論なんでもかんでもというわけにもいかないし、シャッターをきる為にライブを観る事は決してしたくないし自分自身がそのライブを楽しむ事が前提にあるので、あくまでも気が向いたら、ではあるけれど。ライブの写真こそ動きがあるから面白くて、撮り甲斐がある。音と光景のぶつかり合い。自分ではどうにもならないところで力が働くようで、瞬間をつかみ取ることを試されているような気持ちになる。それに、地方都市にいると、そこにどんなに素晴らしい音楽があっても、その音をどんなに気になっていても、遠くまでなかなか伝わりにくい部分って少なからずあると思う。その距離を埋めるのは音源も勿論そうだけど、ライブの写真や映像だって知るきっかけとしては重宝される気がする。ユーチューブとかマイスペースってその為にこそあると私は思うんだけどな。そこで知って外に出るか、出ないかはその人次第だけど。いつか、私が撮った写真がきっかけでライブを足を運ぶ人が1人でも増えたら嬉しいと思う、言葉も然り。それにしても、まさか私がライブの写真を撮るようになるなんてね。私にとっては驚くべき変化。
 微睡んでた今日の昼さがり。母が職場で倒れ救急車に運ばれた、という突然の連絡に青ざめる。昨日と違うバスに飛び乗って、昨日と違う行き先で、昨日と違う不安を抱えて、今日もまたバスにゆらり揺られて病院へと急ぐ。低血圧で倒れた拍子に頭をぶつけて失神を起こしたとのこと。念のための検査に異常はなかったけれど、大事をとって今日1日は入院して貰っている。突然の連絡を貰ってから、微睡みから一転して慌ただしい1日だった。ひたすらに無心で、いろいろ動き回ったと思うけれど、その時の事はあまりよく覚えていない。落ち着いてから、ただでさえ方向音痴なのに、病院までの行き方も全然わからないまま迷わずに病院へ辿り着いたことに驚いた。頭の中が真っ白になりながら母の元へと駆けつけた私をよそに、肝心の母ははじめて乗った救急車にいたく興奮していたので、若干イラッときましたが、そんな相変わらずな母の姿を見て、心底から安心がこみ上げた。なにはともあれ、母は大丈夫ですので、ご心配なく。無事でよかった、本当に、よかった。
 病室の窓から、電車が通り過ぎてゆくのをぼんやりと見晴らした、やがて、遠くのゲレンデの明かりが灯りだした。その風景を見ながら自分が入院した時のことを思い出す。病院をあとにして、家へと帰るバスを待ちながら、いろいろな事を考えた。いまは覚えてない27年前の風景。母のお腹から、私が泣きながら出てきて、へその尾を切られる瞬間をイメージした。わたし母に、無理をしないで、と言えなかった。言いたかったけど、言えなかった。いつもせわしなく働く母、病室でも残したままの仕事のことを嘆いていた。私に言われたところで、母はそれを止めることはないだろう。自分の情けなさが浮き彫りになる。私はただそれを寂しく見守り続けることしか出来ないのだ。いつだって、平穏はない。家族の健康が、コンビニで売っていたらいいのに。全身に浴びる冷たい風が、切なく揺れる気持ちに心地よかった。
 バスにゆらり揺られて家に帰り、あたたかい珈琲を飲み、長めのお風呂に入った。冷え込んだ身体が、ほろりとほどけていった。