ひがんばな

 束の間の春日和から、結局ふたたび冬へと逆戻り。冬の嫉妬は容赦ない、差し迫る春を喜ぶ人々をみて癇癪を起こしてるかのよう。長い冬が地球の向こうがわへと渡るその前に、暫しの別れを名残を惜しむかのように、忘れないで、と捲し立て騒いでる。しかし、暑さも寒さも彼岸まで。これから少しは、暖かくなってくことでしょう。移り変わる季節にさようなら、またね。
 冬の終わりが近づく先日は、展覧会の終わりに近づくその前に、美術館へ。高橋留美子展を見に。漫画のなかで生命を吹き込まれ、活き活きとした可愛い女の子たち。ラムちゃんはいつまでもキラキラ輝いているのでした。いつかの青年少年たちを夢中にさせ、世代を越えて愛され、ひとつを象徴し続けるのは凄いことだな、と思う。見終えたあと、売店でメモ帳を買い、市内のとある酒屋さんで高橋留美子展記念の日本酒が販売しているという噂をかぎ付け、駆けつける。私はらんまのパンダのワンカップを入手。まだ飲んでいないけれど、飲み終えたカップの使い道にワクワクする。花を一輪活けても、きっと、似合う。
 そういえば。今月末まで東川のギャラリーで森山大道の写真展が開催されている事を知る。ああ、不覚…。まだ行けてない。展覧会が終わってしまう前に、行かなくては。
 移り変わる春。たださりげなく、そこにいる、ということは、決して当たり前のことではないのだろう。いつだってそう。生きていればそれだけ事情というものがそれぞれに生じてくるから、どうしようもないのだ。判るでしょう?変化はときどき痛い。どんなに不変を思い込んでいても、いつかは離れる時が来る。見届ける者からすると、とても寂しく感じる。当たり前のように、そこに行けば会えると思っていた人も、これからは、そこではもう会えないんだね。そう思うと。やっぱり、寂しい。友人はまた新たな始まりに、不安が期待を霞ませているというのに。その不安をかき消してあげれるように背中をそっと押せる人間に、なれたらいいのに。寂しい気持ちに負けて、あまりにも頼りない。どうか元気でね、また、いつか新たな地で会いたいね、と思うだけで精一杯。いまは見届けていても、逆にもし私が、いつか、ここから離れて行くとき。ねえ、あなたはどう思うのだろう。いつかは、その時がくる。だから、いつだって、悔いのないように。いきたいね、ゆきたいよ。
 こんな夜は。ありがとう、の一言にいっそう穏やかな気持ちになるのです。春も近いし、少しだけ、髪を切った。少しだけ、清々しい。