最初の呼吸

 風景も空気も、少しずつ水気を帯びてきた。雪が溶けて水たまりとなり、ぬかるむ道に滑りそうな足元。三月の風を浴びると、なんだかスッと童心に返るような気持ちになるのは、母のお腹の中から出てきて初めて自力で吸いこんだ地球の空気だからなのかな。かつて包み込まれていた羊水のように身に馴染む、大好きな三月の、最初の風。そして最期の風だった。三月になると、思い出すことがたくさんある。そのたくさんは心の奥底に留め、いくつかはいつの間にかどこかに捨て、あとはそこに置いてきた。
 逃げてった二月。12のなかでいちばん短い月なのに、今年の二月はたくさんの思い出があって。すべて1ヶ月というあいだで起こったのだと思い返せば、なんだか少し信じられないような。それはそれは色濃く凝縮された月でありました。最初の日曜日は、カジノにて200mphのリリースパーティ旭川編。出演4バンドとも四者四様に最高のライブでした。念願の200mph、ようやくこの目で観ることが出来た。サムライのようなライブ、何度とハラキリを喰らうような大きな衝撃。それからディスコトーション。あの独特の間と空気感、このまま嵌るとオカシくなりそうなのに、逃げだせなくなるほどの恐ろしい中毒性。観る度に中枢神経を刺激されドキドキする。主宰ミスコーナーもとっても素晴らしく思わず涙が出そうに。今年のライブ観初めがこんなに最高でいいのかしら、と思うに匹敵する1日で、東京への旅を直前に控えていた自分には心強い力を貰った日だった。経てして、その後の四日間の東京滞在については前回書いた通り。旅を終え、風邪をひき、二月最後の土曜日は、モスキにて山形のクラゲさんを観に行った。1年ぶりに観れたシアトルのパワフルパワーさんとCaploriさんも含め、この日は多国籍と多文化が入り交じった、終始インターナショナルな夜。素晴らしかった。クラゲさんのライブは、まさに海月のような感覚。ゆらりふわりとした心地よさに油断するとじんわりと刺され、痺れてく。心待ちにしていた初来旭の東京ソニックユースの感動、薄暗い地下室のモスキにマッチする感激。山形の底知れない魅力をまたひとつ、知りました。いつかまた旭川に来て欲しい、と切に願います。そうして、あっという間に三月へと。
 ぬけがらという停滞。そのあいだに周りでは目紛しく様々な事が起きていた。せめぎあう日々。腑抜けた私はただ自分で仕切りあげた小宇宙の片隅に引きこもり、フィルター越しにぼんやりと見守っているばかりだった。そのなかで、完膚なきまで盲目まっただなかの切り捨て御免な自分に気が付いた。もっと周りを見渡しなさい、と気付かされた。見渡してみるとそこには愛があった。このままでいたら、きっと私はそれすら何もかも、見失っていたのかもしれない。そうだ私は、ここで何かを残してかなきゃいけないんだ。自分だけの自分ではないんだ。平手打ちされるように黄色信号をだし、視野を広げさせてくれた友達に、ありがとう。手遅れになる前に、気が付けてよかった。出会えてよかった。
 例えば、この世は不器用なにんげん10人だけの世界だとする。そのなかで誰かが必ず器用を虐げられるのならば、そのうち何人かを抜擢し不器用なのに器用を強制されるのだろうか?それとも、10人でひとつの器用とするのだろうか?果たしてどちらだろう。そこから考え方がかなり違ってくるのだろう。何が正しいのか全然わからないけれど、結局は自分次第なのかもしれない。不器用なあなたの前で、不器用な私は失敗ばかりしている。ただ、いろいろな気持ちが、嘘のない本当に大切な気持ちなのだ、と思う。それだけでいいじゃない、とも思う。
 ふと、谷川俊太郎「臨死船」の最後の一節を思い返し、読み返した。
『見えない糸のように旋律を縫い合わせていくのが
この世とあの世というものだろうか
ここがどこなのかもう分からない
いつか痛みが薄れて寂しさだけが残っている
ここからどこへ行けるか行けないのか
音楽を頼りに歩いて行くしかない』
 私もまた、そうあるのでしょう。
 しばらく上の空でいたけれど。啓蟄も過ぎたことだし。生物が長い冬の眠りから目を覚ますように、私もまたモソモソと、動き出さなければ、ね。 
 ああ、帰るところがあるのはなんて幸せなことだろう。今日もまた、私は私の、まるくて大きな小宇宙へ帰りましょう。今はただ、穏やかな気持ちで、眠りたいだけなのだ。