春ゆれる

 長い冬に光が差してきた。まだ寒いけれど、吹きつける風に少し春のにおいがする、これから行ったり戻ったり、揺れ動きながら、春に向かってくのだろう。
 あれから。上の空のままで、ふと気が付けば二週間近くも経っていた。東京へ滞在した4日間のなかに、たくさんの一生忘れられない思い出が出来た。いまも思い返して、ほわんとうれしい気持ちになる。なんだか夢のようだけど夢じゃなくて、このままこの時が続いてもいいな、と思えるほどのキラキラした瞬間の数々。微笑ましくもあり、誇らしくもあり、涙ぐましくもあり、少しこそばゆくもある。心の底から楽しくて、ただ、ひたすらに、ありがとうの思いがこみ上げる滞在だった。これまで東京へ訪れた中でも、いちばんってくらい、最高に幸せで、素晴らしい旅となりました。
 13日は新代田のフィーバーで行われた、カツヤさんゆきさん夫妻の結婚パーティへ。たくさんの幸せとあたたかい笑顔に溢れたその空間とともに、津々浦々に多くの初対面と再会がありました。たった1日のあいだで、ここまでたくさんの方々とお会い出来る事ってそうそうないことじゃないかな。そのすべては確かに、夫妻の人柄があってこそ成り得た集結のひとときであり、二人が与えてくれた、本当に貴重な巡り合わせの機会だったと、思ってる。
 私、新婦側友人代表のスピーチをしたんです。予てから頭の中で言葉を駆け巡らせてはいたけれど、いざ本番を迎えてみると、計り知れない緊張が待ち構えていた。カツヤさんの描画が添えられたランプが震える手元をそっと照らして、周りを見渡すと、夫妻と、あの場にいたすべての方々に囲まれていて。高鳴る鼓動の中に、安心感を見つけたのだった。それにしたって緊張し過ぎたもので、みんなにちゃんと伝わったかな、届いたかな、判らないけれど。皆さんの前で、ゆきさんのこと、夫妻への思い、いつもありがとうの気持ちをすべて伝えることが出来て、ささやかだけれど私なりにことばの華を添えられた、と思う。夫妻にとって一生に一度の晴れの舞台に、私を選んで頂けたこと、本当に有り難くって、とっても嬉しかった。
 大切なひとの人生の瞬間と、自分の人生の瞬間が交わるのはとても凄いことだな、と私はほわんと嬉しく思うのです。たった一瞬であっても、それが一方的であっても、ね。日々を生きていくなかで、大切な人達と同じ時間が交差するのは、とても幸せなこと。だから私はね、生きている感じがするんです。
 穏やかであっという間のひととき。あの空間、すべての人達、たくさんの祝福、溢れる笑顔、交わす言葉、ご両親の涙。ゆきさんの花嫁姿、とっても綺麗で輝いていた。カツヤさんもいつよりも凛々しくて、明るいこれからを象徴するようだった。そのひとつひとつがどれも素敵で、あたたかい。ほんとうに素晴らしいパーティでした。2010年2月13日という1日が、いつまでも光り輝く日でありますように。末永くお幸せにね。カツヤさんとゆきさん、改めておめでとう。そして心から、いつもありがとう。
 あのとき、私は東京にいたんだという実感。嬉しくて幸せで心が弾んだ12日も、心強さを感じた14日も。ただ、ひたすらに、感謝でしかない。そのひとつひとつの瞬間を私は忘れない。会えてよかった、会えてとっても嬉しかった。ありがとう。そして、またね、で繋げていこう。きっと、そう遠くないうちに。
 楽しい滞在になればなる程、反比例して帰りはとても寂しくなるのです。何度かの旅でひとつ覚えたことでいえば、行きの飛行機は窓側席を、帰りの飛行機は通路側席を選ぶといいという事。東京を離れてく瞬間が切ないから、外が見えない方がいいの。帰途につく15日は、なんだかホロリとくるものがあった。けれど、旭川に立ち戻った時、旅行く前よりも少しだけ、大人になって帰ってこれた、気がした。 
 きっと、もうすこしあとになって、じんわりくるんだろうな、と思う。だって、既に嬉しくて泣けそうだもの。気温差にやられてひいた風邪も快調に向かってきたけれど、ぬけがらのような今。気が付けば2月がもう終わりそう。あの4日間という再確認の日々を経て、これから、身の振り方を真剣に考えてかなきゃな、と思う。確実に迷わない道なんてない、迷ってしまったら戻る事だって出来る。ただ、明日がどうなるかなんて、誰も判らないのだから。私は、ただ、後悔だけはしたくない、という気持ちが、いま強くある。だから迷ったっていい、歩んでゆきたい。未来はいつだって正念場。毎日心は慌ただしいけれど、お互いそれぞれの日々を過ごし、また笑顔で再会できるように、また会えるその日まで。いまを生きてこう。物理的な距離を越えて、また会えるように。
 ありがとう東京、またそう遠くないうちに訪れること、またの再会を誓って。
 楽しかったね。また、会いましょうね。