デカルト・デカダンス

 束の間の春日和から一転、再び氷点下の冬が逆戻り。一昨日の春めいた雨は一体なんだったのだろう。
 先日、ようやっとの思いでディストロのニュース用ブログを更新。カレコレ半年ほど滞っていましたが、その間入荷させて頂いたいくつかの作品のご紹介が遅くなってしまい、大変申し訳ないです。それにしたって、更新してないあいだにジュゲムの管理ページがいつの間にか大幅に変わっていて、あやうく文明に取り残されかけた。若干書き難かったけれど、そのうち慣れることでしょう。ちなみにサイトの方はiMacを新調した関係で下手な更新作業が出来ず、俄然時が止まったままとなっておりますが、せめてもの罪滅ぼしに、とブログのみ更新させて頂きました、どうかお許しを。
 そして、これまた長らく難航しているサイトのリニューアルに関しましては、出航してざっと一年は経過してますけど、未だ難航中です。いまのところ考えとして、いっそニュース用のブログに全ての情報を統一してしまおうか、という気持ちが八割くらい傾きかけている。その理由は、自分の更新作業の円滑さと、それに伴う情報発信の速さ、がまずあって。現時点のブログとサイトの同時更新作業で例えてみると、ひとつの作品を更新するだけで大幅な時間がかかってしまうため、自分の生活を照らし合わせても情報の発信が多少遅くなるという難点がありました。その結果、半年も滞ったのは紛れもない事で。いくらデジタルの中でアナログさを残すことを重視してようが、せめて情報は少しでもフレッシュなまま発信しなければならないな、と。その考えでいくと、やはりブログに統一した方が賢明か、と思い至ったところで、気持ちは九割がた傾きつつ。しかし、ああだこうだと言い訳がましいことを言ったところで、どのみちまだ完成も程遠いのは確かなことです。果たして波止場に着くのはいつとなるのでしょうか。依然不明ですが、気長にお待ちを。
 文明の発展や自分自身の生活と共に、その在り方を変えていくこともたまには必要、せっかく生み出された文明であるのだから。それでも相変わらずオーダーフォームを設置する気には一切とおきませんので、ご安心を。
 ディストロの話の流れに繋げて、以前から書こうと思ってた昨年夏の終わりに寄稿したファンジンのことを、遅ればせながら。ディストロのブログの方にも書いていますが「音楽につれて」(id:ongaku_ni_tsurete)という東京の音楽集団、とあえて呼ばせて頂くとします。彼らが昨年の秋に発行したファンジンの第一号に、表紙のデザインと7ページにわたる紙面に文章と絵を添えさせて頂きました。夏休みの宿題状態で原稿に追われたことや、制作し終えて暫くのあいだ、ボールペンと両面テープを持ちたくなかったことも今となってはなんだか懐かしく、良い思い出です。
 そもそも寄稿させて頂く運びとなった発端は、有り難い事に現代の鎖国を音楽につれてのディストロで扱ってくれることになって、その辺りにちょうど私は東京に行ったため、改めて彼らにご挨拶をしたのですが。その後、音楽につれてをやってる瀧下君の方から、だいぶ前に散る日記で書いた携帯サイトを作らない理由の云々についてファンジンで書いてほしい、というまさかのご依頼を受けたことが始まりだった、と思う。てっきり私はその事だけ書くものと思いきや、後日原稿用紙が手元に届いた時には、まさかの表紙デザイン用と7ページ分の白紙が手紙と共に同封されてたので、驚いたものです。全て手書きという条件のみ、あとは好きなように絵と文章を書いてOKとの事だったので、その通りに原稿の制作に取りかかるべく、机に向かった。
 前置きとして一旦話は逸れますが、一応これでも私はたいした事も無い芸術系大学卒の端くれで、しかしながら、現在に至っても尚デッサンが極めて下手なのもあり、平面的な描画作品よりも立体的な作品を作ることを得意としていた。陸上でいうところの長距離と短距離の差のようなもので。そのため、大学ではコマ撮りの映像やオブジェばかり作ることが多かった。しかし、いくら寛大な学校でも端くれの学生に得意なものばかりを作らせてはくれない。時には平面的なものを作らざるを得ない時もあった。そこで私は、平面的なキャンバスの上で如何にして立体を見出すか、について必死に頭の中を捻らせた。正直に言ってしまえば、完全に苦手な平面への逃亡策なのだが。
 そうして、考えた先にあったのが、千切り絵だった。ただの千切り絵だと面白くないので、更に頭を捻らせ、ひとつのシルエットの上に、ひとつの素材を千切って貼り、コラージュ的にかけ合わせるという手法を思いついた。この手法を自分のものにして以来は、あれだけ作りたがっていた立体的な作品よりも、千切り絵コラージュの作品を自ら進んでつくることが多くなったと思う。
 例を挙げると、ディストロのサイトのトップにある画像もこの千切り絵コラージュの手法を用いたもので、あれに至っては自分が好きな鳥のシルエットの上に、自分が嫌いな木の実のシロップ漬けの画像を千切って貼付けることで、好きと嫌いは紙一重、という意味が実は密かにあったりする。それは音楽にしても言えるんじゃないかという意味も込めて。他にも、近年でいえば年賀状とか何かしら作品を描く機会があるときも、そんな感じで、相反する2つをかけ合わせてひとつの絵にすることが多い。まあしかし、ああだこうだと言ったところで、あくまでもまだまだ三流がやってることに過ぎないので、もっと精進しなければいけないところだ。
 長くなった前置きから、音楽につれてファンジンのことに話を戻すとして、原稿は、まず始めに表紙のデザインの制作から取りかかることにした。ナノディストロのサイト全般やフライヤーなどといった自分がやってる事のデザイン制作はした事があっても、人から依頼されてデザインを制作するということは自分にとっては初めての試みだった。依頼者がいることを前提として、依頼者の期待に応えられるように自分なりの表現を出すこと、を最重視しながら、今回も前述の千切り絵コラージュの手法を用いた。ただ、いつもと違う点は、フォトショップではなく手作業であることと、素描きを加えたこと。素描きに関しては、後になってあまりの下手さに自分が後悔する事が多いので、あまり形には残したくないと個人的に思っているのだが、近年稀に見る手作業の機会を与えてくれたので、ここであえて素描きを取り入れ、いつもとは少し違った手描きらしさを全面に出すテイストにする事にした。
 テーマとして冒頭にあったのは、ファンジンのタイトルでもある「音楽につれて」そのものだった。笛を鳴らす人間の顔のシルエットの上に、森、花、夕暮れの空、霧、といった自然の風景写真を千切って貼付けることで、千切り絵コラージュの手法を取り入れ、素描きで人間の脳を形づいた複数の線を絡ませ、その中にひっそりと鍵盤も描いた。
 音楽は、肉体を介して絡み合うもの。耳を通して聴いた音楽につれて、人と人とが交わる音楽につれて、目に映る風景も違ってみえる。或いは目で見た風景によって、脳を介し音楽の感じ方が違ってくる、そして、人は笛という音楽を鳴らしはじめる、その音楽につれて。そんな意味のようなものが込めてあるとか、ないとか。ちなみに、発行されたファンジンでは白黒仕様となっていますが、マスターとなる絵がこちら。
 
 もちろん表紙だけではなく中身の7ページにも千切り絵コラージュを取り入れたが、あくまでも挿絵であるため、主題となる大まかなシルエットはあえて決めなかったし、あえての素描きも多めにした。意味がある事は千切り絵の素材となった写真がディストロ出店で釧路に行った際に貰ったパンフレットであることだけ。シルエットを決めなかったのは初めてのことだったので、普段は赴くままにしていたバランスについては相当迷う事となった。
 文字類に関しては、読み易いように改行に拘ったつもりですが、これを手にした人から、どの順序で読めばいいんですか、と聞かれる事も多いので、拘り過ぎたものと思われます。別に人それぞれ思い思いの順序で読んでいいんじゃないかな。文章は今読み返してみると、いまだったらこう書くな、こう書いた方が良かったな、とか色々と反省点だらけだけど。まあ、その当時が込められたものとして、ここで終われないという意味も込めて、形になってよかったのではないでしょうか。そんな感じで、この原稿の制作は、本当に意義のあるものだったし貴重な経験でした。
 その後、無事に原稿が完成し、音楽につれての手によってファンジンは発行された。昨年9月に東京へ行った時に、足を運んだ大塚ミーツでのATARIと彼方遥の合同企画で瀧下君と再会して、直接ファンジンの完成品を頂いた時は、少しだけ感慨深い気持ちになったのを覚えている。そして、その日出演したPS BURN THIS LETTERのミヤシロさんや、観に来ていたThis Time We Will Not Promise And Forgiveの東海林君やmnm無宿/ディストロのカツヤさんといったファンジンの制作に携わったこともある友人達に、タイミングよくその場で完成品のファンジンを直接お見せする事が出来たのも良かったと思う。
 やけに長々と書いてしまったけれど、そんな音楽につれて第一号、気が向いたら是非お手に取ってみて下さい。感想や意見も匿名以外であれば遠慮なくどうぞ。そして改めて、このような機会を与えてくれた、音楽につれて、本当にありがとう。