あるのはこの瞬間だけ

 めずらしく何から書けばいいのか考えあぐねて、何時間も経過。
 それくらい先日土曜日のサブレイト2では、自分にとってかけがえのないものを得た。あれがたった1日間という時間だったのかも信じられないくらい、内容の濃い出来事がその時間の中で連続して起こっていた。あまりにも楽しすぎて、素晴らしすぎて、3月に突入して数日経っても未だに余韻が残ったまま、それからの日々を過ごしてる。ディスチャーミングマンのライブは、その音に呑まれ溺れるような感動を味わったし、ミスコーナーもこれまでの軌跡を辿りながら更なる現時点を聞き手へ打ち付ける衝撃があった。二者二様に圧巻の素晴らしいライブでした。
 その素晴らしさを裏付けするかのように、この日の為に遠方から友達がはるばる何人も旭川に集ってくれたのも、また大変感慨深い。去年山形に行った時もそうだったけど、私が心から信頼を寄せる人達の顔を見ると、思わず気が緩むというか、感情が溢れて止まらなくなる。けれど、極めて純粋なそれを決して恥とは思えない。だって本当に嬉しかったんだ。いいじゃない、自分を褒めてやりたいくらいだ。
 いま思えば。この日ハイパードッキリ計画月間で東京からM夫妻が来てくれて、日中から一緒に動物園行ってペンギンの散歩見たのも、その後東京からSさんと釧路のスーパー元気印TKSと札幌のNさんとライブ前から合流して喫茶店ハシゴしたのも、M夫妻とも再合流した瞬間に勘付かれて、奥様に首根っこつかまれて今しかない、と悟ったのも、みんなでラーメン食べたのも、思いが深まるあまりに私一人食べるの遅くて笑っちゃうほど伸びてたラーメンも、味すら全然感じなかったのも、みんな一緒でライブを観れたのも、打ち上げ後に五右衛門行ったのも。きっと全てが必然的な巡り合わせで、もしこれらひとつ欠けていたとしたら今の気持ちは無い。そんな気がしてならない。
 「今日、思いのたけをみんなにすべて打ち明けて相談した。あとは行動。」 
 帰宅した早朝、私は手帳にまずこのように殴り書いた。
 前から、一人で考えればキリが無いほど胸が締め付けられる日々が私にあった、それは確かだ。自分以外の事だったら敏感に勘が働くくせに自分のことになれば自覚すらままならず、この言い様の無さに困っていた。これでも、何でも行動しようと思うくせに、いざこういう事になると途端に怖気づく自分にもまた、ひたすらに困り果てていた。
 いずれにしてもM夫妻には、この大切で大事なことを打ち明けなくてはいけないな、とは思ってた。今更隠せるような関係じゃないしね、とまた首根っこつかまれたら泣いて喜びながら浮き上がりますけど。あのタイミングで言えたのも、これもまた巡り合わせなのかもしれないね。なんだろうね、私はそう信じてやまないよ。
 本来なら、せっかくみんな旭川に来て頂いたんだから、この日が良い思い出になるべく、これでもかと言うくらいのもてなしを提供しようと勇んでた、これでも勇んでたさ。けれど、結局またも私が貰ってばかりで。励まされてばかりで。なんだか本当に申し訳ないくらいだ、、それがこの日の唯一心残り。
 あの日から。なんだか気持ちが晴れ晴れと広く感じる。けど、少々感情のタガが外れ気味かもな。なぜか妙に素直にしか、いつものように言葉がなかなか連ねられない。あの日から。ようやく私の自覚のようなものがハッキリとした自覚になり、そして確信へ変わった気がする。そして、その確信をより確かにする為の手段はひとつ。東京へ行くべきなんだ、それは願望じゃなくて必要があるんだ。そこまで導いてくれた友人達には、感謝してもしきれない。自分一人じゃ多分こんなに早く到達できなかった。有難う、を何度言っても伝えきれないほどの感謝を、私はどう伝えたらいいのだろう。
 いつも、誰かの幸せを願ってた。それはもちろん今後も変わらない事ではある。けれど、そろそろ、ほんの少しでも構わない、真っ向に自分について考える余地を与えても良いのかもしれない。どうなるか私自身もよくわからずまだまだ不安は大きいけれど、怖気ずいても何も変わらない。大丈夫、大丈夫と唱え。会いに行こう。今ならこの世界のなにもかもが広くて大きくて綺麗に見えて仕方がない。
 私、頑張るから。
 なんか素直すぎて照れくさいけど、こんな風でしか伝えられない。
 そんな決意表明とともに。本当に、本当に、有難う。