君の名にちなんで

 みんなそれぞれ名前があるけれど、たとえ名付け人が適当に付けた名前だとしても、後々になってしまえば意外とそうとしか言えなくなるから不思議なものだ。それは、そのもの自体が名前に追い付くのか、名前がそのもの自体に追い付くからか、どちらなのかは定かでは無いが。言葉がソレに宿る感じ。
 それは本名や個人名に限った話じゃなく、渾名/愛称/通称/異名/仮名/ペンネーム/ラジオネーム/ハンドルネーム/芸名/源氏名/等の場合でも、そのどれかひとつくらいは当てはまる気がする。人間以外の生物でも食べ物や機械などの名前でもそう。例えば、カレーを見たらこれはカレーだな、と思い、間違ってもこれは素麺だ、とは思わないでしょう。そんな感じ。
 その名に因んだものがある、あるいは、そのものに因んだ名があるように、バンド名/グループ名/ユニット名/サークル名/ディストロ名/等にしても、作品名/曲名/題名/企画名/等にしてもそう言えるはずで。これらに至っては、やってる人達の人柄に触れると尚更に実感する事ではあるのだけれど、いずれにしても人柄に触れれば触れるほどにその名前がその人「らしい」というか、その人をよく表してると思えてくるから結構面白い。たとえその名前に人柄とのギャップがあったとしても、遊び心と捉えればまた一興。自身で言えば、ナノディストロも、インアコーマも、どちらもどう解釈しても構わないけど、少なからずは、まあまあよく表せた名かなとは思う。現代の場合は命名したのは私ではないけども、同様に我々をよく表してる感じがするので気に入ってる。
 私もこれまで、個人的にあらゆる名前に感銘を受けてきたけれど、中でも企画名に関しては著しくよわい。オーガナイザーのバンドを上手く表しているな、と何度感銘を受けたか知れない。例を挙げるなら、ゲージミーンズナッシングによる「what color do you see?」とか、アクシデンツによる「問題」とか、アクタガワによる「〜really simple!!!」とか、ワトエバによる「何もしないお前の〜」とか。挙げればキリがないけれど。
 以前の話だが、初の企画を控えた現代の練習で、企画名が決定するまで帰らない長丁場戦を覚悟して、前述の事例を取り挙げ、現代らしい企画名をつけたい、と提案した。当然そこで、じゃあ現代らしい言葉って一体何だ?となったが、最年長のWKTK氏から「ニューなんとか」って現代っぽい、というヒントが出た。確かに。が、私はちょうどそのあたりに「ニュータウン入口」という劇場公演の映像を見てて、その印象を払拭出来ないでいたので「ニューなんとか」は大変私情でありながらベクトルを変えない程度に避けて考え、なんとなく直感で思い浮かんだのが「新世界」だった。これは古臭さも新しさもどちらも兼ねている感じ、とWKTK氏からも納得頂けた。結局長丁場戦どころか、多分10分も満たずに決定した上に、自分で提案し自分で決めちゃったが。その意気込みの割には、然程言葉には含みのない経緯がありました。まあ、それもまた現代らしい、かな。余談だが、その数日後。とあるバンドの音源のリリースの詳細が発禁解除になって、最後の曲が同名である事を知り、意表を突かれたのは後の話。ちなみに、発売後に聴いたその音源はとても素晴らしく、逸曲です。
 名前なんて無くてもいい、とお思いの方もおられるでしょうが、その名前自体を特別に重要視しなくても、私は最低限は名はあった方がいいと思ってる。意味がなくともあろうとも、個別に認識する為にはやはり名前は必要。すべてに名前くらいは無いと、そこから無責任へ繋がってしまう。頑なに否定するわけでもないが、なんだか虚しくなる。
 最近、名乗らない人多くないかい?どこにいても。必ずしもそれを悪だとは言えないし、こちらからは必要に応じない限り一応名前はお尋ねいたしませんけども、悪党に追われてる状況なのかもしれないし?けれど、便利さに油断をしてはいけません、気軽さと軽率を履き違えてもいけません。初対面なら、別に具体的な自己紹介まで求めないが、面倒でも名乗るくらいはしても罰は当たらんはず。それは対人関係における必要最低限の責任であり、基本だ。つまり基本なくして応用もない。名乗るか名乗らないかの些細な違いなだけで、冷静な対処はするが相手側というかコチラの対応が違うのも当然正直だ。だって悪党に追われてるのかと思っちゃうじゃん。それに名前を尋ねるタイミングを損ないそうになる。名前を知る楽しさも欠ける。
 その名はなんて言うの?