月から太陽へ、太陽から月へ

 厳しい冬も峠に差し掛かる2月だが、暖冬にしたって相変わらず極寒の真っ只中。毎年の事ながら、この時期になると、そこらじゅう見渡す限りの真っ白い風景もそろそろ見慣れてきたし、森林浴を乞うようになる。ただ単に飽きたワケでも現実逃避するのでもなくて、こうも真っ白が続くと、風景の中に色彩があった事すら忘れかけていくから、ふと色彩の感覚を取り戻したくなる。一応、個人的に気に入ってるスポットは何箇所かあって、思い出せばそこの様子を伺いたくなる。まあ、いまその森へ行ったところでやはり真っ白でしかない、どころか凍死必至だし、あと2、3ヶ月は辛抱しなきゃだけど。
 それにしても除雪車はホトホト苦手だ。働く人に罪はなくて、むしろお疲れ様と言うべきだが。夜中に歩きながら排雪作業に勤しむ除雪車を見ていると、これはねぶた祭の様を呈しているな、と思った。なんとなく。労働者のお祭り騒ぎ。とは言え、実際にねぶた祭見たことないけど。
 昼間にやると色々と厄介な事は夜中にやり、夜中にやるには相応しくない事は昼間にやる、すべてにも言える事なんだろう。そうやって、人間は月と太陽と関わってきた。
 こないだのこと、明け方に姉が激しい腹痛を起こし、私にSOSを要請されたが、ちょうど近場の病院の診察開始から2時間前で、だけど夜間診療も受け付けているので、ダメ元でなんとか診察させて貰えないかと病院に連絡したところ、電話に出た医者から承諾を頂き、藁にも縋る思いで病院に向かった。が、そこへ着いたや否やそこにいた看護婦がなかなかの鉄の門で、「大丈夫そうだから」2時間後の診察時間まで待合室で待て、との宣告が。まあ、家で一度倒れた姉の具合は身内の素人並みにどう贔屓目に見ても見なくても「全然大丈夫ではない」ワケだが。アナタ朦朧と苦しんでる患者を目の前にしてよく大丈夫なんて言えるな、とは内心腸煮え滾ったものの、ただ、診察時間前ということでこちらも多少無理を言った節もある。このまま振られ文句に言い文句じゃ埒があかないと思い、せめて横になれるところで休ませてあげて欲しい、と大人しく妥協案を提案し、それは粘りに粘ってなんとか許可を頂いたので助かったが。
 こんな早朝に揉め事は避けたいと思ったのは確かだが、この妥協案は果たして正しかったのかどうかはよく判らず、横になって苦しむ姉を隣にして妙に自責の念に駆られながら2時間を過ごし、いざ診察を受けると、こんな状態なら来た時に診察しても良かったのに!と医者から言われ、脱力。
 点滴を打つ姉を見届けタクシーを手配して、私はそのまま仕事に向かいながら、病院たらい回しの問題もそう関係の無い話ではないのかもね、と思った。身内の体調不良は思いの外取り乱す事も身をもって知った。そしてあの病院には私も二度と行く事はないだろうと誓い、私の病院嫌い問題も更に深刻化させた。幼少の頃から通っていた近所の町医者のジイちゃんが数年前に亡くなって廃院になってから、すっかりカカリツケ難民だ。あ、お蔭様で今は姉もすっかり回復し、少し遠いですが病院も変えました。安心はしてますが、私は果たしてこれで良かったのかどうかはよくわからないでいます。
 話は変わるが、マルイイマイが倒産だ、と思った矢先に西武も閉鎖検討だって。このニュースには驚かされた。この二つの百貨店が無くなってしまうと、旭川のマチも終わりに等しくなる気がしてしまうのが切ない。私自身も結構困る。ただでさえ数年前から郊外が栄えだした以降は、マチは廃退の一途を辿っているというのに。更には、数年後には駅も移転するし、一体これからどうなってしまうのだろう。けれど、どんなに街並みが変わろうとも、時間が経過しても、その時のことは忘れないだろう。今はそう思う。