忘却の聖誕祭翌日

 思わず笑ってしまうほどの吹雪、どか雪に相応しいどか雪。なもんで、寒い。
 子どもの頃から毎年12月26日の外の雰囲気がなんとなく好き、クリスマスが過ぎ去る事で電飾は撤去はされて徐々に寂れてく風景、けれどすぐに年末がやって来る事で気の抜けない様、それでもまだ僅かに浮かれ気分が残る道行く人々は皆なんだか良い表情。そんな雰囲気がたまらない。これは必ず26日じゃないと味わえない、27日になればもう年末年始モードに変わってしまうので。だから、今日は仕事を終えて3時間ほど外を練り歩いた、心底骨冷えするこんな吹雪にも関わらず、全身雪に塗れながら歩きまくった。
 しかし、どうも歩いていると、それが近頃の風潮なのかもしれないけど、世情はあまりにもイブにこだわり過ぎて肝心の25日が少しばかりオザナリになっている様な、そんな気がする。まあ、人それぞれだろうけど、25日にメリクリでしょ。一応断っておくと、私はクリスチャンでは無い。けど、クリスマスシーズンの幸福感だったり、それ皮肉る光景も含めた雰囲気は見ててなんだか平和で良いものだとは思う。だから、これは嫌悪感ではなく些細な違和感。ちょっと例えが極端だけど、自分や誰かの誕生日の前日に盛大なお祝い、する?世間様があまりにも前日、前日と騒いでいるもんで、私は何日の夜にサンタクロースが来たんだかもうすっかり忘れてしまった。生き急ぐのは世の中が不況だから?そんなに生き急がなくてもいいじゃない。ゆっくりやってこう。
 とは言え、こんな些細な違和感を覚えたのも、皆繰り上げて祝いすぎて私が26日に味わうはずの雰囲気が、前とはどうも違うからだ。ここ2、3年の面白みに欠ける私の26日をどうしてくれる。非常に遺憾であります。クリスマスを終えた翌日でさえ繰り上がってしまって、ほとんど年末年始モードに蝕まれ、道行く人々は打って変わって皆険しいもの、見ててなんだか寂しい気持ちになる。なんでそんなに生き急ぐの?だから、ゆっくりやってこうって!
 ついでに言うと、ここ数年クリスマスを終えても外の電飾を撤去しようとしないケジメの無さもまた誠に遺憾。ちょっと前まではサクッと撤去してた気がする。かと言って昔は良かった、なんて懐古の言葉は言いたくない。面倒なのは判るけど、年末年始まで使い回そうとするその魂胆は良くも悪くもある。それでいて、口からエコと言うんだから。お願い、仕舞って。
 もう私の好きな26日の光景は死んだ、もうこの世の流れるままに忘れるしか手段はないのか。こうなったら頼みの綱は、26日と同じくらい好きな1月1日。元旦なのに、社会が休止している為、この世の終わりかのように静寂に包まれた外の感じもあれは凄く好き、なんとなく。あれはとても安定感のある静寂だから、さすがに今後も変わらないだろう。だからもう、12月26日の幻想を忘れるしかない。そんな寂しさをもちまして、今年の仕事をオサメた。