ロードムービーのハジマリ

 好き勝手生きている人間でも、自分の事以上に、誰かの幸せを心から喜んでしまう事、というのはあるものだな、と強く実感する。私には、友人の結婚、という一言では済ませたくない出来事になった。あぁ、今まで生きてて良かった、本当に、心から。
 報告を聞いた今晩、私はたくさんの事を思い出していた。
 私が、彼女と彼に出会ったのはそれぞれ時期も違う。先に出会ったのは彼女の方だった、その当時は、彼女自身は彼とまだ面識が無かった頃だと想定する、もしかすると顔見知りではあったかもしれない、すべては神すらも知る余地なぞ無く、ただ2人の内に秘められているだろう。
 当時は私もまだnano distroを始める以前で、彼女と知り合ったきっかけはキウイロールだった。彼女はその当時から真っ向な行動派で、元々が道内出身とはいえ、関東に住んでいるはずなのに道内のライブハウスでよく会い、その都度、同じライブを楽しみ、音楽の話をたくさんした。都内のライブの物販で初売りされた音源を私の分まで購入し郵送してくれた事も多々あり、その度に彼女に感謝した。キウイだけではなく、カウパアズ、スパイラルコードや200mph、などなど、たくさんの音楽の共通点がある人だった。何せ、彼女の音楽の好みはとても幅が広く、その姿勢を何回素晴らしく思った事かわからない。そうこうしている間には、私も私が住む旭川という場所で、nano distroを始め、そこまで間もなくin a comaというバンドも始動し、今は現代もやっている。
 彼と知り合ったのはnano distroを始めた直後、キウイロールの札幌での解散ライブだった。とは言え、私は一方的に彼のやっているホームページとディストロは以前からチェックしていたのだが。こう言うと、彼は絶対に否定するとは思うが、この頃から彼は有名人だった。なので、この時友人を介して紹介された時は、あ、この人が、と思ったものだ。その時私はまだnano distroのホームページを立ち上げる前で扱ってる作品も2、3作品ほどだったが、同じようにディストロをやっている、と認識している人で、nano distroを最初に気にかけてくれたのは、彼が最初だったと覚えている。何気に、以前からチェックしているディストロをやっている人からの、どんな作品を扱っているんですか?という問いかけは、実は結構、衝撃的だったのは事実であり。そのお陰もあってディストロに対する意欲がさらに増したのも事実であり。彼はこれ以降、ディストロとホームページだけに及ばず活動の幅を広げていき、今現在もやっているその作品ひとつひとつは、本当に素晴らしく、私には到底、敵わない。
 実を言えば、このキウイロール解散ライブの時、私は彼女とも会っているのだが、2人はまだ面識が無かった頃というのもあって、私は別々に話をしていた。思い返せば、右往左往した私のこの行動が、今じゃあ笑えて仕方が無い。
 そうして、私は彼と彼女にそれぞれに出会い、それぞれに関わった。キウイロールの解散から1年半後、くらいだったと、思う。京都のドッポが初来札したディスチャーミングマンの企画の際に、彼とは2度目に会い、いつものように酒を飲み、いつものように音楽の話をしていたが、この頃、私はこの後の未来に、彼が彼女と知り合う、という事を想定すらしていなかった。想定したのはその後から暫くしてからだった、ある時、私はいつものように彼女の日記のチェックをすると、あるひとつの言動が気になった。彼女の意中の人は、私も知っている、彼に違いない。この時、こういった勘はよく働くもんだなあ、と己の直感に相当ニヤリとしたものだ。
 そして即行、携帯をかざし、彼女に突撃質問した。
 ビンゴだった。
 この勘が当たった時の私の喜び様は、神すらも知る余地なぞ無く、2人にも判るまい。派手に喜んだ、どんな喜び方をしたのかは割愛するが、翌日筋肉痛になった。そう、この時から私は既に2人のことを自分の事以上に喜んでいた。私がそれぞれに出会い、それぞれに関わった人同士が知り合った、それだけじゃない、お互いがかけがえの無い存在となっていた。本当に、嬉しかった。これ以降、それぞれに関わった1人と1人じゃなくて、2人というように、私の中で認識が変わった。そして私は彼と彼女から近況を聞く度に2人の事をとても素敵だと思った。なぜなら、
 「そのバンド」の音楽の世界観を地でいく様な2人だから。
 これは2人には伝えていないことだけど、詳しいことは内緒。
 この頃からきっと彼女にとって、ディストロという行動がぐっと近くなったと思う、私もディストロしているし、扱ってる作品を気にかけてくれた事もあったし、どんな活動なのかおよそ判ってはいたとは思うが、彼もディストロをやっているということで、きっと尚更に。そういえば、このあたりに、私がインタビューを受けたフリーペーパーが発行されて、彼女も読んでくれた。このインタビュー記事は、想像以上にたくさんの人から感想を頂いて、そのひとつひとつが大変嬉しかったが、彼女がくれた感想は、純粋にディストロの事を知ってくれた、というのが伝わって、インタビューを受けて良かった、としみじみ思ったものだった。この頃には、お披露目はまだだったが、もう既に私は現代をはじめていた。初ライブまで迫ってきた頃に完成した「鎖国ep」も晴れて彼のディストロで扱ってくれた。都内で広めてくれたのは、彼の行動もあってこそだ、本当に有難い。それは今も、継続中である。
 そしてその後、彼女はフリーペーパーを制作。彼女の幅の広い音楽の好みが生きた、彼女らしい視点で綴られた素晴らしい作品が完成した。当然、私のディストロでも扱った。それは私がこの作品が良いと思っただけじゃなく、この作品を通して、私が出来る動き、とするnano distroで、私が口約束が苦手な性分というのもあり、彼女にこれまでの感謝を、きちんと行動で伝え示したい、と思ったからだった。それもまた、今も、継続中である。
 そうこうして、先月は山形のドゥーイットでお二人と再会した。この頃にはもう結婚のことも私に伝えられていて、独身最後に会うということで、彼女を旧姓で呼んだ。いつも名前で呼んでいるものだからはじめて呼んだが、呼びまくった。2人と知り合ったこと、今までの関わりと、末永いこれからが、とても誇らしく思った。
 そういえば、2人がシネマ旭を出た後、私はこの喜びを後輩相手にぼやいていたら、「ナツさん、それはお祝いしに東京に行くべきです、出不精ぶってる場合じゃないです!」 と強く言われた。語尾にバカ、くらいついてそうな剣幕で。あまりの剣幕なので下克上のひとつでも起こされるかと思った。下克上inシネマ旭跡地、させてたまるかよ。
 そして今日の夜。彼女から結婚の報告と指輪のメールが送られてきて、今に至る。
 あまりにたくさんのことを思い出すから、本当に長々と書いてしまった。個人的なことかもしれないが、日記なんだから、個人的でいいだろう。彼女と彼が一体ナニモノなのか、一応名前は伏せておいたものの、明らかにバレバレ、情報ダダ漏れなのはご愛嬌。だって本当に嬉しくて仕方が無い。
 本当に、本当に、おめでとう。何億年も、お幸せに。
 あぁ、今まで生きてて良かった、、マジで。
 こんなに素敵なカップル、なかなかいないよ。
 これをもって祝辞とさせていただく、例文なんて無視。ご静聴有難うございました。