月の裏側で光合成

 何度でも言う。こないだの19日のカジノと20日の電気猫では、確かな自覚と、強いパワーを貰って、この猫背を押された素晴らしい2日間だったと振り返る。思えば、自分のやらかく生きた史上最高に楽しかった2日間だったんじゃないか。でも、そこで終わらせない、終わらせるわけにはいかない。のが、底力だろう。10月に予定する現代の企画に向けて、握りこぶしを再び握り直す思いで一杯。頑張らなければ。ディストロも。もうあんただけのあんたじゃないんだ、私よ。 
 鞄の中の荒れ様に見かねて、思わず鞄を変えてしまった、のは最近のこと。いつも私の鞄の中はものに溢れて荒れに荒れている(果たしてこれは何の乱れなのだろう)いつの間にか手放せないものが増えた。持ち歩く万華鏡ですら、今も手放す事は出来ないでいる。荒れた鞄の中が、洗い晒しすべての私自身のように思えて仕方ない。読みかけていた本のページをめくり、ページを戻すと消えているようなそれ。
 四季は巡って夏が到来しているんだから毎日暑いし、暑いから夏が襲来した。夏が嫌いだから、夏篭りしてしまいたいし、地底に住居を移したいと思い焦がれる。この暑さは鬱屈を生み出さんとす。日々の苛立ちも、憂鬱も、空回りも、自分勝手も、絶望も、途惑いも、不安も、価値観の違いも、些細な違和感も、ぜんぶ夏を諸悪の根源とせんとす。夏の昼の日差しがひどく苦手すぎて、ほとほと参っている。私と漢字違いの同名とはいえ許すまじ、夏。生きてれば30年後くらいに森の中で好き放題暮らすのが、将来の夢。
 9月はdo itに参加するべく山形行きを地道に慎重に着実に計画進行中。いつの間に足に生えていた根をちょん切って、海を越える、初秋。