灼熱に交差していく過失

 この空間に書き連ねぬうちに様々な出来事と思案と思惑が駆け巡った気がする。無論、その時の凡そすべての雑念は、この空間に書く迄も無いことばかり、という訳でも無いのだが。とは言え、それじゃあここに書くべき事とは何だ?と思うに成りかねないけれど、その違いに大差はないはずだ。どうあれ、ただ私に秘め続けていればいい。
 たぶん、今更な事かもしれない、近頃ヒトとの様々な感覚の違いを感じるのがやけに面白い。そう思うのも、前より少し敏感になったからかもしれないし、あるいは少し寛容になったのかもしれない。もちろん私が生じていた感覚が世界のすべてでは無いのはわかっているが。例えば、あるひとつのものに対して最初に見る場所、思い潜む事なんてそれぞれに根本的に違ってて当然で。かといって十人十色とはよく言ったものだけどそういう漠然としたものではない。要はこれは、もっと限りなく些細なこと。あまり上手くはいえないけれど、私以外のヒトが、ひとつのものに対して様々に生じるその感覚の違いを「ズレ」として感じ取っていく感覚。私には笑ってしまう程に心地良くて仕方が無い。ただ、そこにヒトの生がある限り、そこに私の生がある限りは、そのヒトの感覚を私の感覚に同一化するのは違うし、逆に私の感覚をそのヒトの感覚に同一化するのもまた違う。だってそこでまたひとつズレを生じてしまうから。だから、否定もする必要もなければ肯定する必要もない。それぞれで感じ取れ。そして、そこで交差するそのわずかなズレから「何か」を生み出せ。それが負であれ、正であれ。私はせいぜいそのズレを楽しむ。噛み締め、噛み砕き、味わい、時に舌鼓を打ち、時に吐き出し、食い潰してしまうまで。それもまた私自身の感覚だ。わからなくてもいい。
 最近、頭が爛々として熟睡することが出来ない。そして最近軽い予知夢を見る、から、相変わらずどちらが夢か現実なのかもわからない日々。歳月は過ぎ去っていく。
 仕事もまた相変わらずに。今の職に就いた当初は、職場の人間のあまりの感情の無さに愕然とし、私はああならない、などと密かに胸に誓ったものだが、さあ今となってはどうだろうか。結局私も、出来るだけ職場で感情を出さない事に精一杯努力しそれに陶酔している。時々、ふと感じるストレスとやらで我に返った瞬間に、この職場ともそろそろ潮時かと思います。疲弊を自覚する事すらあまりにバカバカしく思う。私は疲れてません絶対に。
 私が知らない間にどうやら我が家の外壁を塗装替えする話が進んでいて驚いた。とうとう私の家も馴染まないその風景に塗り潰され、溶け込んでいくんだね。ちっぽけな思い出も、風景も、過去に脱却できない自分も、なにもかも、そんなもの熱となって消えてしまえ。熱となった瞬間にその大切さを味わって涙を流してしまえ。すべてのものが愛しかったんだろ?私はあまりにも眩しいすべてを直視しすぎたようだね。