零すすべてが 今、一つに

 寂寞とヒドイ風邪を引いて数日経過、ようやくここまで病み上がった。咳はあまり治まっていない。
 熱に浮かされて足取り重く、立ち竦んでみるとここが夢なのか現実なのか日頃よくわからなくなる。頭痛がして現実であることがわかる。外は雨が降っているし、いよいよ外を出る気が失せるが、這ってでも外へ出たがる。そういえば、6月になると傘をさしながら自転車に乗ると罰金が取られるそうで、私自身はそもそも傘をさす事自体が嫌いだから傘さし運転もしない人間だが、あくまで傘さし運転が危ないというのもよくわかるし、その罰則を必ずしも悪と思わない。ただ、罰金を取らない限りその状況が直らないという諦めにも似た感覚を警察から提示される事を少し寂しく思う。人間は自分が痛い思いをしないと本当にわからないのか。これもまた現実なのか。人間はどうして対話を拒むのだろう?人と人はどうして全てを共有出来ないのだろう?じゃあ、もし、風邪を引いたら罰金を取られるという制度が出来たら私は風邪を引かなくなるだろうか(だからもう風邪引きたくないんだよ、、)などと熱に浮かされた脳で考える事は滅茶苦茶で、思考は徐々に逸れながら、そんなくだらないことを延々と考えていた。このいくつかは本当にどうでもいいことで、そのいくつかも重要なことだった。目を覚ませばこれは夢なんだと気付くと願っていた。
 私なんてせいぜいそうやっていればいいんだ、この体たらく。
 しかしここで、問題提起。私はまだなんにもやれていない。あぁ、早く風邪、治せよ。
 ここ最近、改めて、ディストロやバンドなど私が好きな「音楽」を通して知り合ったすべての人達を、私は、心の底から、物凄く好きなんだと、いう事を強く実感している。ただその一言に尽きる。その1人1人すべての人達が私にとっては大切で、当然知り合いたくなかったという人間なんて一人もいない、いる訳ないだろ。単純だけど、音楽を通して人と知り合える事は本当に最高なことだ。だからディストロもやってられる。ある意味では、この人と人との関わりの深さも、ハードコアに潜んだ莫大な力なんだろうな。だから、君に、あなたに、知り合えてよかったよ。念のため言っておくとそんなしおらしい事をわざわざ言うのは別に私が風邪で弱っているせいでもない(まあ正直風邪では弱ってるけども…)。ここ最近、4月に札幌に遊びに行った時や、先日11日のミスコーナーのレコ発を観に行った時に、改めてそう実感したから。だから、本当に感謝してる。ありがとう。それが一方的な思いではないことを祈ります。
 でも、そんな出会ったすべての友人に対し、私はまだなんにもやれてねえ、と思う。
 だから、早く風邪、治せよ。