得てして灰を浴び興起する現象

 毎年この頃になると、体調がゆるやかに崩れていくのがわかる。皮肉にもそこで春の到来を実感する。その原因は花粉もしくは黄砂と睨んでいるが、あくまでも床に臥せる必要すらない程ゆるやかな不調なので、追い詰める気にはならない。そう、どうって事すらも無いものの、時に頭が痛み、時に鼻が痛み、アトピーをぶり返し、そして自覚したそれらを無視し続ける悪循環の堂々巡り。そうやって春の始めを乗り越えていけばいい。
 ほんの少し前の、ままならぬその感覚と、ままならぬその意識と、確かなその感触を、今はもうすっかり忘れてしまった。けれど、もし、またやって来る時には思い出すのだろう。だから、それでいい。その時私はどの感情を持って受け入れるだろう。でも今は、それでいい。
 越えられん生温い風に吹き消されそうになる。深く息をする。越えてみせる。
 深く吸い込む。
 そうやって、なにもかも進んでいく。果たして本当にここは底なんだろうか。
 最近ずっと考えているのは、IRAやacclaimを見て触発されまくっている反G8に向けて私は何が出来るだろうという事。けれど「何が出来るか」と思うのはきっとナンセンスで「何をするか」なんじゃないかとも思っている事。more creative, more than destructive. 面白いことがやりたい。
 それから、例えば、そこでフィルターを別に考えたとしても結局通るのは、この肉体であり、この脳みそであり、この目なんだという事。このひとつの固体でどうやって消化していくか。そこなんだろうな。
 明日は、スピリチュアルラウンジでのスパイラルコードのワンマンを観るために、そして友人達に会うために札幌に行く。会う人達、会いましょうね。