丑三つ時の流れ星とクリオネの心臓

 太腿がすごく痛い!筋肉痛恐るべし。
 風邪治ったけども、眠る間際になって咳多発。お陰で眠りの国と現実の出入口で右往左往。
 先日の海の日の前日のこと、紋別へ。港町は空が広く感じる。同じ島でありながらこうも違うのかと疑問を持つ。盆地在住の人間の目に広がる海すら新鮮だ。カモメを見て鳥好きの血が騒ぐ。向かったオホーツクタワーは海底階に窓。水族館の水槽じゃなくオホーツク海の野生の生物を見れるというからくり。海底に潜っているようだ。野生な分無論のことタイミング勝負で時間と季節で見れる生き物も変わってくるものの、この仕組みは面白い。非暴力的(わりと)で尚且つ逆手にとれば海の生物にとって人間が観察物にもなり得る。ちなみに今回は魚数匹と海栗なんかがいたが、これが流氷期だとさぞ色々といるんだろう。館内で飼育してるクリオネだとか白いナマコだとかアザラシを見て純白としか言いようの無さを頭に霞めながら退散。再び山に囲まれる人間。
 もー全然よくわからんよ。可愛いから好き?かっこいいから好き?皆も好きだから好き?「だから」っていう方向性とか定義がよくわかんない。だから何なんだろう?そんなに理由って必要なの?じゃあ逆に理由が消えたら嫌うことも出来んの?まあ欠けた想像力で盲目になるというのは少なくとも自分にだって絶対に無いとは言い切れないよ、でもね同時にそれを悲しく思うよ。それが当たり前だなんて思いたくはない。だって当たり前なんてそんなものは幻想に過ぎず、存在しないから。アンチ連れション文化。ついでに言うと祭りの良さだってわからん。
 望月あんねの「グルメな女と優しい男」を読んだ。簡単に言うとグルメなあまりにカニバリズム願望まである女と生命を愛しく思うあまりにベジタリアンとなり野草を主食とする男の究極に両極端な人たちの話。なんだそりゃという感じだが、まさしくなんだそりゃという話だった。けれど展開はあくまでもピュア。逆に言えばこのピュアにこの極端ぶりという無茶苦茶な感じが面白かった。
 常に真っ白を求めてしまうけれども、真っ白な状態から構築して破壊するのは容易なことではない。だけども乗り越えたいし乗り越えねば。枯らすも芽ぐむも自分次第ならば、私は芽ぐむ方を選びたい。