疑心の余地

 最近どうも眠い。早起きは三文の得というが、私は早起きして得したことは一度も無い。眠い。4、5年くらい育ててたサボテンが枯れて脱力した。
 バス停で待つのはバスしかないけども、待てばそのうち来るから待っていた。待つのは苦じゃない。そうしてると通りすがりの見知らぬ婆さんに話しかけられた。話しかけられるのは稀にあることだ。
 「いやあ、さっき財布落としちゃってさあー」「あらー」「200円恵んでくんない?」「、、ええ?」
 こういう時に限って思考停止しまくる脳を呪う。いや、貧乏学生が見知らぬ誰かにやれるような小銭も余裕も無い。残念ながら。とりあえずもうこの際聞かなかったことにする。しかし婆さんは一向に立ち去らない。バスは来ない。財布は取り出す気にはなれない。コートのポケットの中を探る。はい、運悪く100円玉見つかる。それを見た婆さん「じゃ100円でいいわ」と100円玉を奪う。婆さん立ち去る。婆さんの踏み出した一歩目で私は激しく後悔する。おいおいおい、、、。一瞬財布落とした=婆さんはバス代が無い、と考えた自分を大いに呪う。バスが来た。乗る。
 どうなんだろうこれは?ここはとても疑い深い世の中です。果たしてあの婆さんは本当に財布を落としたんだろうか。200円で何をするつもりだったのか。バスの中で茫然と少し苛々としながら考えた。金額が小さいだけに逆に煩悶が残る。しかし婆さん、見知らぬ奴から恵んでもらいながら「100円でいいわ」だとか、別に望みはしないけどもお礼の言葉とかも無いからあなたは最高だね。どうでもいい。
 うん、色々考えて、答えは出なくても一通り考え尽くしてみると、結局その後は物凄くどうでもよくなってくるんだ。過ぎたことだしなあ。金額が小さかったのだけ幸いだった。とにかく、学習したと思うことにしよう。穏やかじゃなくて全然構わないが。
 (たださあ、立ち去る時に婆さんのカバンから見えたものは、やっぱり、あれ、財布じゃないのか?)