時間を持ち歩く

 指はあれから徐々に治っていった。しかし、春風だな。
 先月の27日は電気猫でTGの企画。ディストロも出させてもらう。柏のdeepslauterは最高にヤバいライブで、初見の札幌のTHANKSにも痺れ、非常にいいものを観た。あの日は相変わらずの知ってる顔から久々に会った人もいたりで、それも嬉しかった。打ち上げも含めて楽しすぎて、あっという間。しかし、ディストロは自分自身の力不足で、やりきれなさがあったのは否めない。せっかく良い企画だったので、尚更にそう思う。ありがたい事で今回もまたいろいろ買ってくれた方もいたんだけども、無論のこと売り上げが多いから=良い出店だとは必ずしもそうとは限らないし、私の場合そうとは絶対に思えない。で、自分の好きなようにやるなんて当然のこと。だけども、それだけでは何か足りない。果たしてより良い在り方ってなんなんだろうかね、まあ、そう答えが簡単に出てきても困るけども、難しいものです。課題は山積みだ。だけども今回ライブはとにかく凄く楽しかったし、今回の出店でそういう課題に気付かされたのは本当に感謝したいところ。そういう経験でこそ変わっていかねばならない。何にせよ次にいってみよう。ナノディストロが、西山が、この街と本当の意味で正面から向き合わねばならないのはまだこれからなんですね。そして、山のように課題を与え、一筋縄にはいかせてくれない我がこの街を私は心から愛しく思います。これからも動き続けながら模索してもっといいものになるように努力します。これからもよろしくお願いします。
 先日、10年以上愛用し続けたCDウォークマンが何聴いてもMerzbowみたいな音を放つようになり、しまいにはどういうわけだが分解しだすという何とも凄まじい大往生を遂げてしまったので、mp3プレイヤーをとうとう買ってしまった。愛用していたCDウォークマンは音飛び防止機能なんてものもなく、結構な重さもあった。そして何より聴く音源を1枚に絞らなければならなかった。が、mp3プレイヤーに変えてみるとその文明と便利さと軽さ。驚きを超えて軽く白けてしまうほど。しかしながら、ハードコアを聴く以前からずっと愛用していたこのCDウォークマンへの安っぽい思い入れと、音源を1枚に絞る過程もなんだかんだで結構楽しんでいたことと、いまの聴きたいものがすべて聴ける文明的過ぎなこの状況は9割嬉しくて1割寂しいような。なんにせよ、自己満足であってもなんとなくこの状況にあまり慣れたくはないものだとは思う。CDウォークマンが壊れて数日ほど久しぶりに何も聴かないで夜歩いていると、外のあまりの静けさに少し感銘を受け、紛れもなくCDウォークマンに対する慣れを感じた。
 それからこの前生まれてはじめて腕時計を買った。私は昔からそこまで時間というものを気にならなく年々歳を重ねてくごとにそれが強くなり、いまは部屋にも時計は無い。なのに時間を身に着けるとは何を思ったものだか。これでなんとか時間のルーズさと、外出先で時計を探すことへの俄かなストレスが少なくなるかと全く都合のいいことを考える。けれども現在でさえもそのうち着けなくなりそうな予感を十二分に持っているんだよな。
 しかし、その代償で現在の所持金が1000円をきっている事実。お金を降ろせば多分に若干あるだろうけども恐ろしくて預金通帳が見れないのもまた事実。さて。