喪失する八月

 この数日はゆるやかに腐りながら塞ぎこんでいた。馬鹿なこともやった。迷惑もかけた。あらゆる反省をすると共に猛烈に悲しく虚しい思いに駆られながら本気で消えたい気持ちになっていた。憎かったら私が死ぬまで罵ればいい。罵れ。そして殺せ。殺してくれ。殺せ。近頃は気が狂いそうな程に暑くて、暑さが苦手なために逆にその暑さで半ば強制的に目が覚めることになった。まあいつまでも眠っているわけにはいかんわな。とりあえず這い上がったのだ、良くも悪くも。消える事を選ばずに。
 最近感じたことは、結局はその土地の素晴らしさっていうのは、その地元の人とか身近にいる人が真の価値を知っているものなんじゃないかということ。だからその土地で生まれたものを地元の人は大切に、願わくば誇りにも思いながら、他の地域の人たちにどんどん伝え広めていくといければいいと思う。例えば、マリモとかも天然記念物が云々なんて言われてるけども私個人には正直言えばどうでもいいことで結局はただの苔の塊だとしか感じない。けれどそれは私自身がマリモや阿寒町や阿寒湖とかに身近な存在では無いからで、阿寒町の出身や在住の方々とか阿寒湖に馴染みのある方だったら少なからず、多少なりマリモの価値を知ってる人がいると思う、手前味噌でも。私には到底わからんことも知っているだろう。また、その人達なくしてマリモが天然記念物には選ばれなかったという事もあるかもしれない。
 それは各地域のシーンにしても同じことが言えるんじゃないかと思う。要は旭川のシーンは結局は旭川の人たちが真の価値を知っているんじゃないのかと。だからこそ旭川の人たちが進んで他の地域に伝えて広めていけばいいと思う。最も理想的な方法は手から手へ。まあ必ずしもハンドトゥハンドでなくてもあらゆる方法で旭川の人は旭川のシーンを大切にして、もっと広めていくべきだ。これは旭川に限らず各地域にしても。自分の地域なのに自分がやらないで誰がやるよ?「あなたのシーンを教えて欲しい。私はあなたの地域のシーンを知りながらも結局は全然わかってない。けれどその代わり私の地域のことなら少なからずわかってる。それを素晴らしいと思っているからあなたに教えたい」そういうことだ。その為に私はいちディストリビューターとして、ナノディストロとして、協力は惜しまない。誰がなんと言おうと、ナノディストロは私ひとりでは今こういう風にやっていないだろうし皆がいたから今がある、私の誇りなんだ。誰かにとやかく悪く言われるつもりはハナからねえっつうの。
 話は変わって、印象的な匂いを嗅ぐと私の場合は中毒的に再び嗅ぎたくなってしまう。私は匂いフェチじゃないし、嗅覚もなかなか鈍いけど。ここ数日家の犬(ろろ)の匂いをよく嗅いで考えていた。ろろの匂いは獣の匂いであり血の匂い。つまり生そのものの匂いだ。時々うんざりして時々恋しくなる匂いだ。これほどまで現実的なものはあるだろうか?
 私は小さな頃から眠りにつくことが怖くて仕方ない。眠りにつくということは孤独なことだ。みんなもう眠っていて、誰も起きている人はいない、静まりかえった中でひとりで眠りにつくなんて辛いことだ。いつから?そういう思いがあって外が明るくなってからじゃないと私は眠れなくなってしまった。ラジオをつけたままで眠るのもそのせいだろう。小学の頃布団の中で窓から見える街の灯りが徐々に消えていくのが怖かった。それは絶望だった。でも実は本当はこれをなんとかしたい。今日はなにがあっただろうか?やけに疲れたね。眼球が痙攣してる。私の近くにいた人が持っていたさくらんぼの造花が私の足にぶつかって、さくらんぼが死ぬほど大嫌いでモチーフですら見るのも嫌な自分は吐き気を覚え気分が悪くなり家に帰って吐いた。今はいつもの喧騒がやけに静まりかえった奇妙な夜明け、普段は聞こえないはずの遠くの方から汽笛の音が聞こえます。もう眠りたいんだよ。