ダンシング・ハレーション

  • 6/26 モスキートでDJの日。シュガーレスプレゼントvol.2 真夏の恋の革命舞踏会。今回も前例にそって、前回の無礼講の主犯格の二名によるOIL ON CANVASの期待以上の鮮烈なダンシングショウに、魔神さんも加わり更なる狂騒状態。破天荒な舞踏会の夜。TGもとても良いライブだった。ご来場、共演のみなさま、主宰の添田とモスキートに、ありがとうございました。また。

  • 7/3 夕刻の西武前にて。ギリヤーク尼崎青空舞踏公演を観に行く。毎年恒例、夏の風物詩。ギリヤーク尼崎は、私が最も尊敬する大道芸人であり、アーティストです。私にとって夏の始まりはいつも、祈りの踊りと共に迎える。今回の演目は、じょんがら一代、よされ節、念仏じょんがらの全三演目。どんなに寂れが進行している駅前の街中であっても、日中の土日ともなれば人通りは多い。個人的にあの辺は普段からあまり好きじゃない。それもあって昨年は西武前には行かず、三番館前のみ観に行った。そしてそこで、それでも私は観続けたいと思った。だから今年は何としてでも二ヶ所とも観に行くことを決めていた。そこにあったのは、演舞中のギリヤークさんに向けられた、道行く若者のあからさまな嘲笑、蔑み。芸術の受けとめ方は人それぞれにあるのだから、それもまた、路上という風景のひとつ、なのかもしれない。想像力の欠如は、その人自身の問題なので、極めてどうでもいい、だから私は一向に構わないけれど。最低限であっても人としてのマナーの悪さが目についてしまうのは、如何なものかと。アナタの体は自転車とくっついて居るの?と問いたくなる。ただ、表現者はそんな風景も、すべての風景として背負い、ひとつの芸術として昇華させてかなきゃいけない。路上を舞台として表現し続ける事は、とても容易な事ではない。80歳を迎え、昨年は心臓が4秒止まっていると医師から宣告を受け、ペースメーカーを入れたギリヤークさんの体は決してタフでもなく、若くもない。「死ぬまで踊り続けていきます」と言う本人の姿は、まっすぐだった。表現者として生涯を貫くということ。40年以上世界各地で踊り続けているから為せる業というべきか、だからこそ尚更に、言葉に重みを感じる、そのバイタリティを目の当たりにして、心が震えた。








  • 7/5 日を跨いで。夕刻、早々に仕事を切り上げ、三番館前の青空舞踏公演も観に行った。三番館前は古くからのファンと見受けられる方々も多く集うので、毎年集中して見ることが出来る。私がギリヤーク尼崎で夏を迎えるようになり四年目、まだまだ新参である。演目は西武前と同じ三演目。最初のじょんがら一代から、清々しい気迫が観てるだけでも伝わった。そうして、ギリヤークさんが現在やってる演目の中では唯一観客を舞台に引き連れて共に踊る、よされ節では、まさかの私が選ばれ、あれよあれよという間に舞踏の真ん中に引き連れ出されました。ふと気が付けば、ギリヤークさんが私の手を引いていて。舞台の真ん中でギリヤークさんと一緒に踊っていた。これが夢じゃなく現実であるということに、あとからじんわりと感動が込み上げた。お客さんが囲む中で踊るのは少し照れたけれど、うれしい思い出。感動の名残が続きながら、念仏じょんがらの終盤。いつものように観客の円から抜けだし、舞台に戻りバケツの水を被り、倒れ叫ぶ姿は、圧巻だった。平和と、鎮魂の為に、ギリヤークさんの祈りの踊りがある。人間としても表現者としても、ただひたすらに、尊敬してしまう。ギリヤークさん、ありがとう。














  • 7/7 北海道では8月ともいうけれど、暦の上では七夕の夜。七夕に、胸を締め付けられるような感慨を覚える。彦星の妻よぶ舟の引綱の絶えむと君をわが思はなくに。また会える、ということは素敵なこと。いまはただ、星に、願いを。