カフェインジャンキーの明けない夜明け

 書きたい事ならたくさんある。ふぬけて時に酒に酔い時に睡魔に負け、徐々に後回しにしていたが、書きたいことは溜まっていく、それなりに。そのいくつかはどうでもよくなり、そのいくつかは忘れた。私にとって日常を記録することについて時々考えた時に直感で思ったのが、日々を昇華するということだが、感覚的にこれが近いかとは思うんだけれども、ここから生まれたエネルギーなんてものはここに充満しているだけで何の糧にもなってない。結局はとにかく好き勝手に書きたいように書いてるこの空間をそれなりに自分が必要としているし、そこに意味があっても無くても、この世には意味とか定義とか、そういうので割り切れないものなんてたくさん存在するだろうし、定義とか意味とかを闇雲に付けたがるのは私はあまり好きではないし。まあ単純にやりたいからやりたいようにやって、面倒になったら止めるだろうけど。
 昔からどうにも未来のことを考えるのが凄く苦手な人間が、未来のことについて考えるべきことがたくさんあり参っている。どれもが解決しにくい事ばかりで、けれどもいずれは自分が答えを出さないといけない。頭ではわかってる事を何度も反復して考えるたびに気が重くなる。正直、これからの人生、という言葉すら全然しっくりこないくせに、なんとなく、もしそうなればそれはそれで案外楽しんでそうだとも思えてくるから妙なものだ。
 冬頃から再開していた夜の散歩も今までもずっと続けている。初秋の夜はとても心地よいので、歩くというよりは泳いでいる感じだなと思う。そして時々家に戻りたくなくなる。深い理由は無いけど、ただずっと泳いでいたくなる。闇の中をずっと泳ぎ続けて、光も届かないどこかに行きたい。思えば酒を飲んで歩いて家に帰る道と大体同じなのにシラフで歩いているとどうにも、酔っててもちゃんとこれまで家に帰れていることに今更ながら驚ける。これじゃあ反比例だ。
 先日の夕方頃、近くのごみステーションにあるゴミの中で目覚まし時計が鳴っていた。凄く異様な光景だった。自分もそうだが気付いているけど誰も止めようとしない。そうやって、卑怯な部分が暴かれた。まあ結局誰かが止めたようだけど、1日中その残響音が頭の中でこびり付いていて非常に苛々としていた。鳴り止まない。卑怯者として、鳴り止まない。そうやって生きてゆく。そうやって生きてくんだね。そうやって、生きて、ゆく。死して屍拾うものなし。闇を慕いて死にゆかん。