一瞬を紛らわす

 しばらく間が空いてしまった。
 15日土曜日は私たちのライブだった。始まるとそんなに記憶が無いのだが、私たちはごちゃーとした開放の仕方で攻めるしかないな。それこそが私たちだと思う。そう思っている中である方に言われた「ああいうバンドがいてもいいんじゃない?」という一言が物凄く嬉しかった。いつの間にやら左手を痛めていて、終わってから気が付いた。そして、山形から来たアクタガワのライブは本当に素晴らしすぎた!あまりにも凄くて観ていて泣きそうだった。こういう経験はそうそう起きるものではない。完全に惹きこまれたのは私だけではないでしょう。そして、みなさんの人柄も素晴らしかった。とにかく最高の1日で、そんな企画に出させてもらえて私たちは幸せ者だと思う。翌日はTG.Atlasとアクタガワが函館でライブで、私も同行させてもらった。この日も非常に楽しかった。アクタガワはこの日も素晴らしく震えた。美しすぎる。そして函館のバンドも良かった。日帰りで17日の早朝に旭川に帰ってきた。
 で、だ。帰ってきたその日を境にどうも自分が変わってしまったように思うのだ。まず、私が学校でやっている映像の創作活動にこれまでに無いほど物凄い創作意欲が沸いている。これまでアホみたいに行き詰ってたのがサクサクと進む。それから、これは先日のライブでのアクタガワのみなさんのアドバイスあってのことなのだけど(感謝!)これまで気持ちの片隅にあったin a comaと私の映像を融合させて向き合いたいというのも増して強く思うようになった、本当なんとか形にしていけたらいい。
 あと、感覚に対してどうにも敏感になったというか。それがどういうものかを問われると漠然としててどうもうまく言葉に出来ないのだけど、頭の中がゴチャゴチャで。夜になれば酒を飲んで、寂しくなれば煙草を吸う。挙句の果てに酒に酔うことに対して最近はこれまで以上にすごく気持ちよさを見出してしまい、ここ数日は酒をよく飲んでいる。酒を飲むことの目的下が変わって、ただ酔う行為のためだけに飲んでいる。これはなんとなくやばいような気もする。うっかり依存(といっても深刻なものではない)してしまいそうだ。いや、もう依存しているのかもしれん。ただ危険信号がチラついて、私はそれを無視して酩酊に陥る。まだ信号があるだけマシなのか?あー、、自分は何なんだろう?よくわからない。
 群像4月号に掲載されていた佐藤憲胤「ライトワーム」を読了した。氏の著作は始めて読んだが、やべえ。この狂気にこのリズム、相当好みだ。狂っているけどどこか冷静で。そして冷静であればあるほど迫真の狂気となるんだなと。すべてのものはどうでもよく、どこから狂いのラインなのかも結局はわからないのだ。それでも私は混沌の中を生きている。