廃人の刻印

 近頃、自分が必要以上の自己アピールするというものにどうにも煩わしく思う。不特定に宛てる「私は だ」「私は している」というものに白々しさとどうでもよさを感じている。言葉でしか相手にわかってもらえないだなんて辛くてしょうもない。歳をとったということなのかは知らん。別に主張せずとも黙ってやる事をやればいい。それでも結局は人はそれぞれ自分のことしか考えてないんでしょう?(少なくとも私はそうですよ)だから、自分がアピールしない限り誰も見ないしなかなか気付かれなかったりする。でも自分が主張しない限り気付かれない事って結局は努力不足ということ?それでいいのか?やる事為す事を本当に「努力不足」と言われて終わらせていいのか?それは理不尽な話でしょ。やってるんだから、やっているでしょうよ。それがほんの僅かなことでも。理解されないというのは残酷なことだ。まあ私のやってることに対して誰かがどう思おうが別にいいけど。誰かに認められる為にやってるんじゃない。でもねえ?、、もう矛盾点がありすぎて何を言っているのかわからなくなってきた。そして、誤解を生みそうな文章。もういいや。
 あ、自分はかなり我侭な人間です。わかってる。まあ、どうも情緒不安定なのは少し気が揺らいでいるだけだけだよ。なんか見失ってるんだよ。そういう時期なんだと思って誤魔化す、自らを。ともかく気を確かに持て(なんてことは本当は凄くどうでもいい、なるようになれ)。
 それより、ここ数日は暴飲暴食と不規則な生活が祟ったのか胃腸の調子が悪い。さすがに労わる気にもなるっていう。アイ・マスト・ダイ。