睦月のかたりべ

 新たな年は既に明けていますが、おめでとうございます。
 2011年もよろしくお願いいたします。
 今年は何かと成し遂げたい事はたくさんあって。とにかく私は着実にそこへ進んでかなくてはなりません。今まで通りにもいかないような、凛とする感覚が少しずつ芽生えつつある。つい慌ててしまいそうになるけれど、決して焦らずにいきたいもの。そうして、始まれば怒濤のように日々は過ぎてゆきます。濃く、深く。
 写真と共に、1月のことをなぞります。

  • 1/1 - 4 お正月は映画を見ながらゆっくりと過ごす。昨年は周りで、しあわせな報せが多くあったのもあり、次々と届く年賀状を見て、ほっと、嬉しく思う。2日は久しぶりに当麻のおじいちゃんの家へ。今年も初詣は当麻神社で。おみくじは今年も大吉。おやおや3年連続。幸先はいい感じなので、しっかりと低姿勢でいきたいところ。本年が素晴らしい1年となりますように。また、あなたの同じ時間と場所のなかで、少しでも関わる事が出来たら嬉しいです。



  • 1/9 - 10 手土産のいなきび大福持って、いざ札幌へ。

当初はバスで行く予定でいたものの、バスターミナルへ向かうと大雪の影響で、いつ着くか判りません、と言われる。急遽、JRに変更。札幌へ着くと、駅中はバーゲンで混沌としていた。早々に駅から抜け出して、ルタオのカフェアマイワナに引っかかっての休息。そこからカウンターアクションへ。サン企画サロンvol.14、久々の再会も多く、新年のご挨拶が出来て良かった。
ライブ初めはディスコトーション。その音圧に酔いしれる。くらくらするほど最高にカッコイイ。目の前で観れているのはとても贅沢なことだと思う。
そしてウォークとキジ。サロン出演という大きな機会を控えかなり緊張してたようだったが各々が各々に良いライブをしていた。まさに盟友とも言えるこの2バンドの相乗性は、本当に素晴らしい可能性を秘めていると私は思います。だから彼らはやっぱり一緒じゃなきゃ、と。今回の札幌滞在で大変お世話になったnogさんが、キジとウォークが一緒に頑張っている姿を見ていると、かつてカーニバルオブダークスプリットとブラックフィルムダンスが一緒に頑張っていた、あの当時の札幌の勢いを感じる、と褒め讃えていて、その当時を体験していない私でもなんだか感慨深くなる。今年もキジとウォークと共に、何か一緒にやれたらいいなあ。やりましょう。
そして、今回がようやく念願の、現体制では初見のナッシングナッシングナッシング。本当にカッコ良かった。気付けば無心になってその音に夢中になっていました。そして今回来札した仙台のFLEXはまるで血が滾るようにかっこよく、ライブを観ているとジタバタ身体を動かずにはいられなかった。コスモスも久しぶりでガツンとくるカッコよさ。そして最後はサン、ステージに立った瞬間から空気の引き締まり方が半端なかった、改めて重厚なオーラを感じました。サン本当に大好きです。
打ち上げに参加させて頂いたあと、今回の宿泊先であるnogさんの家で、ノロさんとキジのジンチ君となお君と共に二次会。nogさんの家はお宝ばかりで、カーニバルやカウパアズのビデオを観ながら皆で談笑。ノロさんやnogさんから色々な話を聞く、その当時の札幌シーンを観ている人のお話は貴重。すっかりテンションが上がり、眠ったのは朝11時でした。翌夕方、nogさんとジンチ君にまた近いうちの再会を誓ってのバイバイ。2日間ずっと楽しかったから別れも惜しかったけど、ありがとう。時間にゆとりもあるので札幌からの帰りはバスにするも、まだまだ大雪の交通障害は残ったままの高速道路。旭川まで5時間程かかる。大雪の影響で行きから帰りまで何かとミラクル続きでしたが、最高に楽しい2日間でした。帰宅して泥のように眠る。nogさん、お世話になりました。また行きますね。
ちなみにライブ写真はキジです。


  • 1/14 - 16 風邪ひいた。咳は未だに治まっていない。
  • 1/29 仕事終わり、モスキートへ。この日はタニさんがやっている宅録ユニットshhhのライブを観る。…というか、普通に観に行ったはずがリハ始まる前にモスキに着いてしまって、急遽、受付を任される。タニさんとは結構長くからの友達で、実はインアコーマでも一緒にやったこともある。だからタニさんの作る音には絶大な信頼感があるのだけど、生粋な宅録人間ゆえshhhのライブ本数は少なく、しかもそういう時に限って私は行けずにいて。今回ようやく観ることが出来たのでした。shhhのライブはとてつもなく、良かった。血管のような音楽。動脈というより静脈だろうか。密やかに熱があって。いまにも破裂しそうで、ひどくザワザワした。タニさんの作る音楽はやっぱり裏切らないから本当にすごい。また何度でも観たい。この日も皆で談笑しつつ、楽しいひとときでした。ちなみにライブ写真はそのshhhです。

  • January,2011 ジュウニブンのイチ、あっというま。ひどく寒い外


散る2010

 年の瀬を感じながらも、最後の最後まで1年を振り返るのはまだ早いように思えてきて、それでも密やかに頭の中で2010年にあった出来事を駆け巡らせてみれば、年をまたいでいた。この記事を書いた時は、実はとっくの間に新たな年を迎えている。今更ながら、2010年の総括を。まずは、月別にピックアップして振り返っていきます。

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【1月】

  • イナコーマ復活、現体制での初練習。2011年こそライブしたい。

【2月】

  • 東京へ3泊4日の滞在。一瞬一瞬がどれもかけがえのない思い出に包まれている。ありがとう。
  • 新代田FEVERにてカツヤさんとゆきさんの結婚パーティ。新婦代表のスピーチをする、果てなき緊張。そうしてそこで築いた大切な友情と愛情。夫妻の人徳のおかげで、念願の初対面や嬉しい再会がたくさんあったのも嬉しく、至高の笑顔と大きな幸せに満ち溢れていた夜のカケラ。

【3月】

  • 誕生日前夜にTG企画ソーシャルギャラリーモスキート。音の中で27歳をむかえる。

【4月】

  • 企画フォルテッシモの計画が具体化したのはこの頃から。偶然のようで念願でもある集結の連続で、一気に驚きの展開へ。

【5月】

  • モスキートで初めてDJをさせて頂いた。恒例無礼講パーティの始まり。
  • 5月のうちに旭川で観れたライブが、ディープスローター、アイエ、スネアキルズ、RO、チョモランマトマト…と半端なく怒濤。
  • 社会復帰。学ぶことは山のごとし。アウトサイダーアートについて本格的に勉強をしだす。

【6月】

  • マイヘッドスウィムズ入江夫妻が旭川へ遊びに来てくださり、モスキートで縁ある皆集まって飲む。非常に楽しいひととき。
  • DJの二度目。

【7月】

  • ギリヤーク尼崎さんの恒例北海道青空舞踏公演。三番館での演舞でステージへ連れられ一緒に踊る。
  • 現代で久々のライブ。やりきった。また会いましょう。

【8月】

  • DJの三度目。
  • この他はひどく体調を崩していた、あとは久しぶりにエヴァンゲリオン再燃して一気見していた…。

【9月】

  • フォルテッシモ開催。そして翌日は札幌カウンターでのWALK企画。大切な宝物のような、最高の2日間。ありがとう!

【10月】

  • #distrojpを始動。2011年は色々と行動出来たらと思っています。
  • DJの四度目。

【11月】

  • ルーバーロウとマイクワットを旭川で観る。未だに夢のようだけどルーのサインが手元にあるので、どうやら夢ではないようだ。

【12月】

  • 年末、アクタガワ英樹さんが旭川へ遊びにいらっしゃる。TG新旧メンバーと共に歓迎忘年会を大西さん宅で。大西さんのプログレッシブな料理に舌鼓。大晦日、最後の最後まで面白いひとときで1年が終わり、また新たな年がやってくる。
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 ザックリと振り返ればこんな感じでした。2010年の日々を重ねていく毎に、違和感というとまた少し違うけれど、ずっと心で膿んでいたしこりのようなものが少しずつ癒えてった気がします。苦しいことも大変なこともありましたが、365日のうち半分くらいはそんな日だってあるでしょう。特に後半にかけては、視界がクリアに、心身が不思議と軽くなった感じでいました。それを通して、これでいいのね?という感触も徐々に掴めてきた。
 2011年は、その感触をより確かな手応えにしたいもの。指の隙間からこぼれてしまわないうちに!
 続いて。上記との被りもありますが2010年に特に印象に残った音楽とそれとそれ以外にまつわる出来事の羅列。

  • ACUTE / 猟奇と幻想 7inch
  • ASMEIAS / ASMEIAS II (asin:B0046K0TDI)
  • climb the mind / ほぞ (asin:B003YUTHAM)
  • KIJI / WALK split CD
  • RETOX
  • 森山大道写真展「北海道-第2章/展開」at 東川町文化ギャラリー
  • ギリヤーク尼崎 青空舞踏公演 at 旭川三番館前 (2010.7.5)
  • カツヤさんゆきさんの結婚パーティ (2010.2.13 at 新代田FEVER)
  • SNARE KILLSのライブ (2010.5.8「NEW ORDER vol.15」at 旭川MOSQUITO)
  • 「Fortissimo!」(2010.9.19 at 旭川MOSQUITO)
  • 大切な友達との出会い、再会、そして別れ。新たな生命の誕生。しあわせな報告(2010.1.1-12.31)

 1年を漢字一文字で表すなら「縁」かな。振り返ると、人と知り合うことがとても多く、また大変お世話になり、実質的な距離を越えて人がぐんと近くなれた1年だったように思います。
 心から、ありがとうございました。
 楽しかったね!2011年もよろしくお願いします。

見晴らし塔からずっと

 「さあ、急ごう。
 月が消えてしまう、その前に。」
 冬の皆既月食に、慌てて寒空の下へ飛び込んだ。月がよく見えるところで立ちすくんで、移ろぎ欠けてゆく月を眺めてた。やがて煉瓦色を帯びた月は、また再びそろりそろりと顔を出した。大気が揺れて、月がボールのように空中で弾んでいた、なんだか恥ずかしそうで、嬉しそう。たくさんの人々に一斉に見つめられて、照れてしまったんだね。地球にすっぽりと包まれて。きっと、とても嬉しかったんだね。
 月は太陽になりたかった、
 太陽は月に憧れていた。
 万有引力で、その願いは遠くへ離れた。
 地球の裏側でも、眩しい光があるといいね。
 こちらでは書きそびれていたけれど、#distrojpのことを少しお伝えします。ツイッター上にてハッシュタグ「#distrojp」を使い、ディストロに対する意見交換、情報共有、議論、共同制作または企画、トレード、宣伝、その他諸々。全国各地でディストロをやっている人達で何か出来ないか模索する動きをはじめています。この動きは10月くらいから始まりましたが、ツイッターの特徴を活かした有意義なあり方であると思うし、現在のところはごく一部の動きですがハッシュタグを使うことでこれまでディストロに関する興味深いやりとりが続いています。そもそもの言い出しっぺは私なのですが、ハッシュタグを使う事は東京のPUNKROCK and AUTOMATIC CITY DISTRO/regret grefの苔口君のナイスアイデアによるもの。この発想は私のちっぽけな脳ではおそらく思いつかなかった。とても大きな強みとなりました。そこから#distrojpの最初の動きとして「日本全国各地のディストロをリンク集」を制作させて頂きました。ディストロという動きがある限り、半永久的に未完のリストとなるであろうとは思いますが、今後とも出来る限り完全へと近づけて全国各地でどれくらいディストロが拡がりを見せているか、把握する一助となれば幸いです。また、ホームページや名義の有無は問わず、リスト掲載も私の方で随時受け付けていますので、お気軽にどうぞ。これまでのハッシュタグの発言まとめもリンクに繋いでます、もし宜しければ参照してみてください。
 #distrojp ポータルサイト全国各地のディストロリンク集:
 http://distrojp.jugem.jp/

 もちろん今後ともこのツイッターの#distrojpで、ディストロをやっている人は勿論、やっていないけど興味関心がある人もどなたでも、過去の経験談から素朴な疑問までディストロに関することなら、気軽に観覧、発言してもらえたら有り難く思います。一人の力では出来ないことも複数が集えば大きな力となる。各地で活動する複数のディストロ同士が結束することで何かが出来るはず、と私は考えてます。いってみよう。やってみよう。
 ちなみに、#distrojpのきっかけもありまして。これまでたいした意味もなく鍵をかけている私のツイッターアカウントでは、ハッシュタグが反映されない為、いまさら鍵を外すかを迷った結果、ナノディストロの情報発信用に公開の別アカウント(nanodistro)を作りました。入荷や出店情報も多分こちらが一番最新なので、どちらもどちらさまも、フォローはお気軽にどうぞ。
 私はと言えば。エコポイントや地デジ化の影響下もあり、ここ1ヶ月のあいだで家電状況が激変しました。まずは、テレビ。プラズマテレビ。今まで出来なかったテレビの録画が出来るようになり、原始人が文明の利器を見つけたキモチを手に取るように感じています。そして何年も使っていたお風呂用のラジオが、ある日とつぜんお陀仏となり、良い機会なので急遽お風呂用iPodスピーカーへとレベルアップ。例えば普段は、ヘッドフォン越しの外や部屋のなかで、いつも何度でも聴いている音楽も。ただ聴く場所をすこし変えるだけで、またいつもと違ってより素晴らしく、心に響いていきます。浴室にやさしいうたは、とてもよく合う。音楽と場所は、決して切り離すことはできない関係だと、私は思っています。合致すれば、あらゆる世界観がクリアになる。
 毎日、音楽に救われている、だから、私は大丈夫よ。
 あなたもきっと、そうだね。
 そこに音楽があれば大丈夫だと、思う。
 この街でいちばん珈琲が美味しいお店で、ダッチコーヒーを飲んだ。とても居心地の好い、静かなひとときだった。以降あの美味しさが忘れられず、家や職場での然程美味しくないインスタントなコーヒーを、断ちました。今までライブを控えてる時などは自身のコンディションを保つ為に珈琲を断つことはありましたが、ぬるくて美味しくない珈琲をだらりと飲むくらいなら、飲みたい時たまにの贅沢で、喫茶店でまた美味しい珈琲を嗜めばいいと思ったのです。惰性よりも嗜好。一杯の珈琲は生活観を変えた。とりあえず今日で6日が経過。続ける気はない。
 たぶん、よく眠れていますが、おかしな夢ばかりを見ています。



夢だけど夢じゃない夜の波

 12月に例えようのない深みを感じる。1年の最後の月だからなのか、冬だからなのか、夜更けが長いからなのか。ふとした一瞬にじんとする波のようなあたたかさも、何もかもが深々としていて、心地好い。
 暇じゃないけど、忙しいのでもない。でも時間が足りない。やりたいことが多くて、それが頭の中ばかり駆け巡ってくから、日常がそのスピードに追いつかない、ただそれだけ。喉元過ぎても、熱さは忘れずにいたい。師走。
 少しだけさかのぼり、1ヶ月のあいだに何度か足を運んだライブの事をさらりと振り返る。まずは先月、11月5日はカジノで、LITE、ルーバーロウ、マイクワット+ミッシングメン。なんだか現実味がないけれど確かな現実であった。歴史的な夜。まさか、旭川でルーバーロウとマイクワットを観れる日が来るなんて夢のようで。ヘッドフォン越しにいるひとたちが、目の前に、すぐそこにいた。それは紛れもなく、家から歩いて何十分ともかからないライブハウスで起きた現実。たとえ夢のまた夢であろうとも、生きてれば、ヘッドフォンだって越えてしまう。いつか、ふと目の前にいることだって、ある。
 あるんだよ、ねえ。
 あの頃の私には、きっと思いもしなかったのだろうな。ひたすらに観てしまった、と過去へ訴えたいキモチで一杯だった。感無量なあまり、思わずルーにサイン貰いました。これは自慢です。ルーのサインが入った私のiPodは、自慢の宝物。個人的には2年ぶりに観れたLITEもカッコ良く最高に踊った。ミスコーナーも不思議と久しぶり。活動拠点を半分だけ都へ移したことで、少しだけ視点を変えて観れたように思う。また、この日は久々な友達ともたくさん集っていて、皆と再会できたのも嬉しかった。
 そして、11月27日はカジノで、上海、アルバン、アナザー3バンド合同企画フィルムセッション。三者三様それぞれがそれぞれに素晴らしいライブだった。上海の、日曜日に遊園地でさんざん遊んだあとの帰り道の夕暮れみたいな、高揚感と少しけだるい音の世界が、いつも観る度に素敵だな、と思う。アナザーもいまの勢いをぐっと凝縮した良いライブ。カウパアズの「錆色の月」のカバーもやっていた。ライブが終わった後はそのままバースペースで、出演勢のDJによるアフターパーティ。終始楽しく過ごした。
 それから、12月3日は電気猫でクラウディの企画。この日も3マン。電気猫へ行くのは1年以上ぶりとかなり久々だった。クラウディはこれまでの経験を着実に力に変えている感じがした。2年ぶりの来旭となった京都のnimは、昨年下北沢でも観ているので今回でライブを観たのは3度目。nimの音楽は、場所とか空間を彩ってくような感じがするのです。同じひとつのライブでも、その場で観ている人達がそれぞれが各々の日常という空間や場所をなぞっていくような。人間味があって、とても生身。札幌のライフは、この日が今年〆のライブだったようで。魅せるときはとことん魅せる、楽しむときは観てるひとたちも巻き込んで皆で楽しむ。そういう感じがカッコイイと思った。来年もまた旭川に何度でも観たいし何度でも来て欲しいです。全てのライブが終わり、撤収して宝来で打ち上げ。活動拠点は異なっても、共通の話題もあり、京都のことをまたたくさん知った。楽しいひととき。
 冷たい雨風が打ち付けるなか、不思議なくらいふんわりとやわらかい気持ちになる。ずっと気がかりだったことが、ひとつ解決した。15ヶ月間、意地をはっていたのはお互いさまで。些細でくだらないことが意地に膨らんで、次第に動機さえも忘れて。きっと、お互いがひどくひどく傷ついて。今ようやく、ごめんね、を言いあえたら、そっとあの娘の肩をぎゅうとした。話をしなかった長いあいだ、彼女は間接的に私の事を聞いて気にかけていたのを知った。そして私も同じようにあの娘のことが気になっていた。そっぽ向きながら、頭の中ではお互いのことを思ってたのが判ると、何だか微笑ましく、いじらしく、彼女の若さを考えれば私は胸が痛み、そして笑いあえた。穏やかな気持ちで、傘をさしながら歩いて家に帰った。皆と歩けば、あっという間に時間も忘れられる。とにかく、なんとか2010年に悔いを残すことはなく、非常にスッキリとした心で来年を迎えられそうです。
 どこにも、行かないで。
 どこへだって、行ける。
 どこかへ、行きたくて。
 でもいまは、家に帰ろ。
 深々として、明るい夜空の下。夜の波。
 未来は予想しないことの連続ばかりだから。
 わたしのあした、未来はどうなっちゃうのかな。

ひめごとよ、永劫なれ

 幾度かの雪が降り、積もって。いよいよ本格的な冬が近くなってきた。これから確実に、氷点下はどこまでも続くというのに、毎年の事ながら、この時期を辛く感じとるのは、急激な気温の変化に、身体が馴染んでないからなのか。
 慣れてしまえば、こんなこと一々書かない。如何ともしがたく、寒くてしょうもない。寒い。寒い。寒い。
 相変わらず、1日24時間では足りない。地面下にて、また色々と動きだそうとしています。詳細は追って。今年もあと1ヶ月となった。来月の事を考えるにも来年だってね。来年と言えばなんだか随分と先の事のようにも思えるのに。なんだか、あっというまな1年だったけれど、まだ今年は終わってはいない。1分1秒、限界まで、余さず追い込んでいきたい。
 感覚が麻痺する、というのは、果たしてどういう心地なのだろう。そう思いながらも、知らないうちに意図もせず、麻痺していることだって、少なからずあるように思う。そうでもしないと、到底やっていけない事もあるかもしれない。心の平穏を願うことを正当化する根源と考えてみれば、良くもあり悪くもある。例えるならば、この街で冬を重ねてみると、温度感覚なんて容易に狂ってしまう。ほんの少しの氷点下でも、まだ暖かい方とさえ思えてしまう。平均を超えてみると、そもそも平均、例年通り、というものが何なのか、よく判らなくなってしまう。寒空の下で、じんわりと身体の熱を奪われていくみたいに。感性を過剰にしていくことで、いろんな感覚を麻痺してしまうのだろうか。私はいままでどれだけの感覚を麻痺して生きてきたの、麻痺せずに生きていられたの。ただ、どんな経験をしても、どんなにこれからが豊かになろうとも、現在という瞬間、愛という感情、色々とありますが目には見えないかたちで大きく育まれる、その感覚だけは、人間として決して麻痺したくない。純粋に、大切な人を大切にするということ。いつまでも。忘れてしまいたくないな。それが、残された無知への感受性であり、未知への可能性というもの。
 ずいぶん前に死んでしまった人のことを、ある日突然ぼんやり思い出した。ずっと実感が沸かなかったから、今まで涙さえ出なかった。しかし、ある日自然と、その人はもういないのだと、判ってしまった。もうどうにもならない、絶望を受け入れてはじめて、その人の死を実感した。そしてようやくその人に涙を流した。おかしいけれど、そこからその人と、本当の意味で「友達」になれたような、気がした。
 今じゃもう遅くて、早すぎた。存在しない人々に、手をかさねて。
 はじまったばかりの冬に、春を乞う。
 今年の冬も、きっと。長くなりそう。
 いまは、穏やかな音と共に、眠ろう。
 ひめごとよ、永劫なれ。そっと、ひっそりと、佇むように。


エマージェントリーデイリーライフ

 初雪が降った。
 刻々と秋は深まり、季節は徐々に移ろいでった。冬がもうすぐそこに在ることを兆すように雨が降り、風はピンと張り詰める。雨がやがて雪へ変わってしまえば、そこで短い秋が終わり、長い冬がはじまる。さよなら、こんにちは。寒がりだけど、嫌いじゃない。
 忘れやしない昨年10月の私は入院していた。あの空白のような暗黒のような10月から1年が経過。あのときの記憶は脳裏に焼き付いている。随分前のことのようにも感じるが、つい最近のこととも思えてくるから、時間知覚はフシギだ。とは言え、時間を取り戻すつもりも更々なければ取り戻すことも出来ない。それはそれでよかったのだと腑に落ちている。しかし、昨年は外へ出たくても出れなかった事によって、秋そのものを然程感じないまま、一気に冬へと飛び越えてしまった。だからでしょうか、妙なもので今年はなんだか久しぶりに秋の深まりを知った。今年はなんとか体調を崩すことはなく、生きています。
 雪が降る前の休日に、森林をふらりと散策しに行った。昔からの癖のようなものとして、時々何をするでもなく、誰もいない河川敷や森林にふと佇んでいたくなる。それは、一人になって考えに集中したい時とか、少し煮詰まった時とか、何かしらの因果関係はあるのかもしれないが、単純にちょっとした私なりの発散方法で、それ以上も以下もない。道のない道を無心で歩いてくと、誰もいない静けさに樹々が騒いでいた。森林の日暮れは早く訪れる。そろそろ引き返そうとした瞬間、光の速さであたり全体が闇に包まれる。それなりに暗闇は慣れているはずなのに、湿り気を含んだキモチがざわつく。勝手に一人で来といて、勝手に寂しさを感じる。しかし歩道も電灯も少ないものの、大型公園の敷地内ではあるので遭難も苦労もせずに出口へ向かい、都市開発のにおいがする街の風景を見晴らし、家へ帰った。
 高架線下とか橋の下にいるのがとても好きなんです。これに関しては、ただのフェチとも言えます。頭上で轟々と乗り物が走り通ってく感じが、堪らなく落ち着く、一種のチルアウト。先日、高架事業もいよいよ開始されたばかりの新しい駅舎へと、ようやく足を運んだ。これまでの駅舎より遥かに近代的な駅になってて驚いた。今のところは、根本的な懐古だとか感傷とかは然程ない。大きな出来事はなくとも、諸行無常、風景は日々変わってくもの。でも、これからまたいつか、遠方の友達がこの街に再び訪れたときは、久しぶりの町並みも随分違って見えるのかな。そこであなたは何を思うのだろう。あたらしい街。変わっていくもの、変わらないもの。
 またある時は、モスキートのプロジェクターを使って桃鉄会。予定の入ってない土曜のライブハウスの、贅沢且つゆるい楽しみ方。正にこれこそ自由空間というもの。そして昨晩は、モスキでの恒例の無礼講パーティ。シュガーレスプレゼント第四夜にてDJで参加させて頂きました。遊びに来てくれた方々、ご一緒したDJとバンドの皆様、お疲れさまでした。主宰添田とモスキート、いつもお誘い頂きありがとう。今回もまたひどく破天荒で楽しかった。この日からDJブースにストロボが導入され、いい感じにポケモン現象寸前。お酒を飲みながら皆でぐるぐる踊り狂い、面白かった。また会いましょう。
 仕事と仕事と休日の狭間で、秋を楽しみながら着々と冬支度をしている。衣替えはした、部屋を模様替えもした、本を読んでいる、色々と考えてみる、髪を伸ばしてる。穏やかだけど、それでもいいの。その中で、外へ出ることはとても大事、多大なるリフレッシュ。だからほら、旅へ出たくなってくる。
 最近、やることが多いというよりは、やりたい事が山積みだ。ツイッターなり、ミクシイなり、フェイスブックなり、このブログなり、その他にもいくつもの発信の手段がある昨今だからこそ、切磋琢磨してうまく活かしていけたらいい。交信する場があちらこちらにあるのは、どちらかといえば近代的な長所と私は捉える。いってみよう、やってみよう
 それはとても有意義でもあり、夜長さえも儚いものと思えてくる。






フォルテッシモ、そして繋がるすべて

 断じて。一生忘れられない日というのは、まさにこの日のことでしょう。
 9月19日 モスキートにて、ナノディストロとTGの合同企画「Fortissimo!」が終わりました。
 まずは改めて。あの日モスキートへお越し下さった皆様。山梨からbirth、東京からDocument not found、小岩からHEMP COACHING JUICER、大阪からハイテンションセックスガール、札幌からWALK、KIJI、 旭川のcloudy r tone、そして共に企画をしたTG.Atlas、モスキート、フォルテッシモに集結して頂いた全ての方々へ。言葉では伝えきれないほど感謝をしています。
 心から、ありがとうございました!
 総勢8バンド、全バンドが最高にカッコよかった。あの日、全国各地から旭川へ集結した皆が、互いに高め合い、全力のライブで応えてくれたということ。企画者としてこれほど冥利に尽きることはありません。ひとりひとりの力が、ひとつの場に集うことで、尋常じゃないほど莫大な力があの日、モスキートに宿っていた。皆様の大きな力添えによって、濃厚で最高の企画になった、と思ってます。私自身生きてきた中でも確実に史上に残るくらいの多幸感を得た。本当に、楽しかった。
 フォルテッシモを通して、これまで私がナノディストロとして得てきたあらゆることに、私なりに現時点での「返答」そして「恩返し」を、行動にすることが出来ました。それでも更にそこから得たものは過剰にありました。数年に渉るこれまでのいくつものきっかけが「点」となり、「線」となって現在があった。そして、現在がまた新たな「点」でもあって、これからが「線」となって広がってく。点と線へと繋がる、線が点に広がる感覚。そのくりかえし。それぞれ活動拠点は異なっていても、最高の時間を共有した限り、これからもずっと、繋がってゆける、繋がってこう。
 またひとつの縁を感じざるを得ない、みなさんとの出会いと再会。交わした会話と笑顔。あの場、この目で観る事が出来たライブ。リハ時から打ち上げの終わりまで。最高に感激したいくつもの瞬間も、想いも書ききれほどたくさんあるけれど、この胸に刻まれてる。そのどれもがぜんぶ嬉しくて。感無量で。私にとってフォルテッシモは、一生の宝物となりました。
 翌20日は札幌カウンター、WALK企画へ。久々だった札幌でのディストロ出店。札幌での出店は毎回こちらも大きな刺激を受けます。これから、もっと札幌でも出店の機会を増やしていきたい、と改めて実感。WALKとKIJIはsplitレコ発の最終日もあり、集大成的なライブだった。splitもいまも聴いていますがキラーチューン連発の素晴らしい作品。札幌でいま莫大な勢いを感じさせる存在です。私自身、KIJIとWALKに関わることが出来たのは嬉しく、誇りに思っています。そしてbirth、iro epをディストロさせて頂いてからの長年の念願だった北海道招聘がようやく叶った2日間。両日とも最高にカッコイイライブで、なんだか泣けてしまいそうだった。念願は叶ったけれど、今回の好機を経てbirthをはじめ、WALK、KIJI、そして勿論Document not found、HEMP COACHING JUICER、ハイテンションセックスガール、すべての繋がりがこれからも続いてくという確信。最高の仲間と巡り会えた事、本当に嬉しかった。また必ず、来てほしい。いつだって、待っている。この日も終始、皆の感無量な姿が印象的で、私もまたそうで。唯一心配なのは、ドキュメント藤井君の肋骨。
 早朝。こざっぱりとしたターミナルから旭川ゆきの始発で帰宅。2日間ずっと楽しかったから、寂しくもあったけれど、またの再会を誓って。本当にありがとう。また、必ず会いましょう。家に帰ると、どっと安堵が込み上げ涙がとまらなかった。ただ、決して悲しい涙ではなく、あたたかい涙だった。
 最高に燃え尽きた。けれど、ここで止まるわけにはいかない、止まらない。みなぎる気持ちは留まるところを知らない。可能性は計り知れない。姿勢はしゃんと、視界はスッと。これからもストイックに、人と人と音に秘める繋がりをひとつひとつ大切に。続けてきます。また「Fortissimo!2」もやる、繋げていく。
 地下室より最高の愛と感謝を込めて。
 本当に、ありがとうございました!